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文化・歴史

67 件

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碑・像 (22)
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1 - 20 件目 ( 67 件中)   前 1 2 3 4


2010/6/1 13:06 [ 4718アクセス ]
 館内には、棟方志功の版画が随所に展示されています。宴会場は、国会議事堂を模した当ホテルらしく、大広間に「衆議院本会議室」中宴会場は「建設省」「農林省」などの名前が付けられています。 18万坪の広大な敷地は、津軽の奥座敷。ごゆっくり散策をお楽しみください。詳細を見る!
中央市民センター(友情の碑)
2009/10/20 9:13 [ 5864アクセス ]
 「友情の碑」の題額は板画家の鈴木廣氏。鈴木氏は青森県内の文学碑情報を『青森県文学碑散歩』にまとめています。撰文は太宰の青森中学、弘前高校時代の後輩小野正文氏。 青森市松原にある中央市民センターには、太宰治が書いた小説「走れメロス」の一節が刻まれた文学碑があります。この碑は、青少年の健やかな成長を祈念して建てられたもので「友情の碑」と名...詳細を見る!
ブドウ畑(駐車場)
2009/10/19 18:58 [ 6722アクセス ]
 現在の津軽三味線会館の大型バス駐車場にあたる場所は、元は津島家の敷地で、ブドウ畑だったといわれています。 梅、栗、クルミなどもありましたが、ブドウにはことのほか手がかけられ、三間に二間ほどの広さで、2メートルほどの高さの柵が作られていました。侵入して荒らすものを防ぐため、よし簀で四方を囲ったほどだったそうです。 太宰は小説「思ひ出」の中...詳細を見る!
八幡宮参道
2009/10/19 20:03 [ 6735アクセス ]
 八幡宮には神楽の舞台があり、神楽の他に伝統芸能が披露される場所です。 斜陽館を中心とした通りに名前が付けられており、八幡宮の前が八幡宮参道と呼ばれています。 八幡宮は、明治38年大火焼失後、明治41年に竣工。拝殿は地元の白常建築部の建築で平成20年に築100年を迎えました。後ろの本殿は平成21年で築100年になります。 本殿は、津島家と同じ堀江組の建築に...詳細を見る!
布嘉御殿 復元
2009/10/20 10:21 [ 7070アクセス ]
 展示施設となっております古民家は約200年前の建物を秋田県大館市より移築したもので、館内に入ると、趣のある空間を感じることができるかと思います。 五所川原の「布嘉(ぬのか)」は、呉服商から大地主となり、県内はもとより東北屈指の大富豪となった佐々木嘉太郎の屋号。 明治後半に完成した邸宅は壮大なスケールから「布嘉御殿」と呼ばれたが、昭和19(1944)年...詳細を見る!
仁太坊通り(小川町・米町)
2009/10/19 20:01 [ 7194アクセス ]
 劇場や映画館、多数の飲食店など娯楽の中心地として金木で最も賑わった地域です。 通称・下町と呼ばれるこの通りは、津軽三味線の始祖・仁太坊が門付けをして歩いた通りです。 仁太坊は、「坊様三味線」「乞食三味線」とさげすまれながらも、「叩き奏法」や「八人芸」を編み出し、弟子を育て、現在の津軽三味線の原型を創った人物。 仁太坊亡き後、その奏法や...詳細を見る!
文芸のこみち
2009/10/20 9:16 [ 7230アクセス ]
 青森市、旧国鉄の操車場跡地に整備されている遊歩道の一部は、「文芸のこみち」として、県内の文化人たちの石碑が建立されています。 太宰の石碑には「さらば読者よ 命あらばまた他日 元気で行こう 絶望するな では 失敬」と刻されています。詳細を見る!
荒馬通り(北新町)
2009/10/19 19:59 [ 7337アクセス ]
 かつての旧役場、旧営林署、旧消防署等の行政地区として栄えた通り。今でも五所川原市役所金木総合支所や金木郵便局、金木商工会などが立ち並んでいます。 五所川原市役所金木総合支所から、金木郵便局、妙乗寺、金木商工会の通りの名称。 津軽鉄道金木駅から寺町へ通じる山手の道は、かつて、旧役場、旧営林署、旧消防署等の行政地区として栄えました。 金木...詳細を見る!
2010/6/1 15:00 [ 7627アクセス ]
 金木町、賽の河原、川倉地蔵境内にある「津軽三味線塚」の碑です。詳細を見る!
八幡宮
2009/11/9 15:30 [ 7824アクセス ]
 金木八幡宮は社殿の南北に鳥居がある珍しい神社です。もともとは南の鳥居だけだったそうですが、昔、藩の巡検でどうしても北から入ることになり、北の鳥居が建てられたそうです。 八幡宮の現在の社殿は、明治38年(1905)の大火で焼失し、3年後に復興。拝殿は、平成20(2008)で築100年を迎えました。本殿は津島家と同じ堀江組の作。 境内に寺子屋があり、祖母の指示で、太...詳細を見る!
2010/6/1 14:22 [ 7904アクセス ]
 斜陽館や津軽三味線会館、南台寺に近い、浄土宗の寺院です。 主な行事は、法要、元祖法然上人の法事の御忌法要、浄土三部経の教示に依る十夜法要、修正会、彼岸会、盂蘭盆会、毎月の御講会など。詳細を見る!
太宰通り
2009/10/19 20:04 [ 7935アクセス ]
 太宰の教養・道徳観に影響を与えた寺社群が立ち並ぶ通りです。地獄絵図・後生車の雲祥寺、津島家の菩提寺南台寺、津軽三味線会館がある通りです。 太宰治の生家・斜陽館を中心とした通りには、それぞれ名前が付けられており、雲祥寺前が太宰通りと呼ばれています。そして、斜陽館すぐ近くには商店街が形成され、こちらは「太宰通り商店街」と呼ばれ、地元の人に...詳細を見る!
2010/6/1 14:44 [ 7947アクセス ]
 創立年月日不詳。 寛永の頃、 藤右エ門という者が、 金神林に於ける大木の根元にて奇異の三石を発見し、 霊夢に依り三宝荒神と崇め奉る。  明治四年愛宕神社と改める。 詳細を見る!
2010/6/1 14:12 [ 8074アクセス ]
 近世の日本海で隆盛した北前船の歴史を多方面からとらえ、様々な角度から紹介しています。 現存する貴重な資料の内容やそれが持つ意味をわかりやすく伝えることで、北前船に興味を抱き、知識を深め、往時を思い馳せながら、創造できる展示空間を展開していきます。 北前船の模型は700石積弁才船を3分の1の縮尺で複製したものです。昭和62年に、深浦町の花田昭三氏...詳細を見る!
金木尋常小学校跡(公立金木病院駐車場中央付近)
2009/10/19 20:38 [ 8143アクセス ]
 八幡宮の境内にあった寺子屋が、明治5年の学制発布により小学校へ。明治35年、旧御蔵屋敷だった場所に尋常小学校が新築されました。 大正3年、太宰は就学前から文字が読めたため、5歳頃からこの小学校に通っていたといわれ、子守のタケが学校に連れて行ったそうです。 向かいにあった金木銀行の一室を、当時小学校教師の三上やゑが間借りし、叔母のきゑと仲がよ...詳細を見る!
折戸公園・太宰治文学碑
2009/10/20 9:01 [ 8146アクセス ]
 小泊地区では、太宰がタケに会うために通った道を「太宰とたけ再会の道」として定め、全長4.5kmのコースに「津軽」の一節を記した文学碑6基を建立しています。 折戸公園もその1つ。―私は小泊港に着いた。ここは人口二千五百くらいのささやかな漁村であるが、築港だけは、村に不似合いなくらい立派である。「津軽」―と刻まれています。詳細を見る!
診療所跡地・太宰治文学碑
2009/10/20 8:57 [ 8168アクセス ]
「ごめん下さい、ごめん下さい」「はいと奥から返事があって、十四、五の水兵服を着た女の子が顔をだした。」(「津軽」)タケの娘・節(13歳)が腹痛のため運動会から家へ薬を取りに来た時、太宰と出会います。節の腹痛がなければ、タケと会うこともできませんでした。「太宰とたけ再会の道」は全長4.5kmのコース。診療所跡地にある碑文は、タケの五女の筆によるものです。詳細を見る!
2010/6/1 14:50 [ 8173アクセス ]
 旧津島家新座敷から雲祥寺に抜ける斜陽館の裏通りで、別な角度から見る斜陽館も楽しむことができます。 生花店や酒場、美容院などもあります。詳細を見る!
南台寺 栗の古木
2009/10/19 20:09 [ 8195アクセス ]
 太宰の小説「帰去来」に登場し、今も現存する栗の大木。 南台寺は津島家の菩提寺で、明治42年(1909)から開かれている日曜学校があり、祖母いしの教育方針で、子守のタケが本を借りてきては太宰に読ませたそうです。 成人した太宰は、病気の母を見舞うために帰郷した時のことを「帰去来」に紹介。「墓の傍の栗の大木は、昔のままだった」と記しています。詳細を見る!
仁太坊の里碑
2010/6/1 16:07 [ 8251アクセス ]
 岩木川沿いに立つ、この地が仁太坊の里であることを示す記念碑です。詳細を見る!

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