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太宰

49 件

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土手の珈琲屋 万茶ン
2009/10/20 9:56 [ 17661アクセス ]
 弘前市のメインストリート・土手町から少し入った、かくみ小路にある「土手の珈琲屋 万茶ン」。 昭和4年(1929)に創業した喫茶店で、官立弘前高校時代の太宰が通ったほか、画家・阿部合成、小説家・石坂洋次郎らも足を運んだといわれています。 太宰が通った頃のレシピを再現した「昭和の珈琲」太宰ブレンドを飲むことができ、店内には弘前高校生が作ったという大...詳細を見る!
南台寺
2009/10/19 19:37 [ 17614アクセス ]
 津島家寄贈の鐘楼があります。鐘の上部には太宰の兄・文治の名前が見えます。本堂内の金色の飛天彫刻欄間や龍や虎の板戸絵が目を引きます。 太宰の実家・津島家代々の菩提寺である南台寺。 戦時中にアメリカ軍の直撃爆弾を受けたが、被害はありませんでした。 津島家寄贈の鐘楼があり、太宰は小さい頃よくお寺まいりをさせられたそうです。詳細を見る!
嘉瀬観音山(嘉瀬スキー場)
2009/10/19 20:31 [ 16786アクセス ]
 観音山の高台からは、広く金木を見渡せます。津軽半島を縦断する山脈や眼下に広がる町並みを背景に写真撮影してはいかがでしょうか。 嘉瀬駅から東へ徒歩で約10分程の場所。標高70~90mで、松林に囲まれています。 東には、梵珠山脈の連なりが見渡せ、中央には大倉岳(676m)、袴越岳(627m)連峰、西は金木新田、西南には秀峰岩木山(1,625m)、北西には権現崎が見...詳細を見る!
浅虫温泉
2009/10/20 9:34 [ 16781アクセス ]
 浅虫海岸のシンボル「裸島」その名の通り裸の巨岩である。親子の悲しい伝説も残っています。 平安時代、法然がこの地を訪れた時、傷ついた鹿が湯浴みするのを見て発見した温泉。 海岸では、海水浴やウインドサーフィン、ヨット、釣り、森林浴、湯治が楽しめます。 「トカトントン」の舞台となり、「思ひ出」にも登場。太宰の家族も湯治で訪れています。詳細を見る!
旧制青森中学校校歌碑(青森市営球場)
2009/10/20 9:21 [ 15985アクセス ]
 春には青森春まつりが行われ、夏には海水浴が楽しめる場所です。公園内には青森市営球場があります。樹齢460年以上といわれる三譽の松は市文化財として天然記念物に指定されています。 大正12年(1923)、14歳の太宰は旧制県立青森中学校(現・青森高等学校)に入学、青森の親戚豊田太左衛門方(青森市寺町14番地)に下宿して通学しました。 2学期から卒業まで級長を通す一方...詳細を見る!
金木小学校太宰治碑
2009/10/19 19:43 [ 15886アクセス ]
 太宰が実際に通った金木尋常小学校は、現在のかなぎ病院(つがる西北広域連合)の駐車場に建っていました。さらに時代をさかのぼると津軽藩の御蔵がありました。 芦野公園の近く、太宰が通った旧明治高等小学校(現・五所川原市立金木小学校)の校庭に建立されている太宰治碑。 「微笑誠心 修治」と彫られた刻字は、昭和11年、太宰治が兄文治に宛てた「太宰治 ...詳細を見る!
青森県近代文学館
2009/10/20 9:25 [ 15653アクセス ]
 東北自動車道青森中央I.Cから車で約3分。青森県内の文学情報を取得後、じっくり青森県文学散歩を楽しんではいかがでしょうか。太宰のエヴァーシャープの万年筆は必見。 青森県を代表する13人の作家を中心に、写真や自筆原稿など文学資料を展示。 人気作家・太宰治のコーナーには、旧制弘前高校時代のお茶目な写真や、「人間失格」第二の手記の草稿、「お伽草紙」...詳細を見る!
馬禿山
2009/10/19 20:29 [ 15609アクセス ]
 馬禿山のすぐ近くまでは、車で進めますが、林道のため舗装されていません。どうしても禿げている場所に登りたい人は、登山道がないため自己責任で登ってください。 標高175mの馬禿山。中腹にある赤土の部分が八の字に禿げていて樹木が無く、小山の二箇所に草木が生えていない場所(シラス地層)があります。 奥州平泉で自害したといわれている源義経が、伝説では生...詳細を見る!
鹿ノ子滝
2009/10/19 20:26 [ 14380アクセス ]
 春先は雪融け水が流れるため水量は多いが、5月~9月は下流の水田に水を送るため、ほとんど水の流れがありません。 主要地方道・屏風山内真部線に沿った、鹿ノ子川溜池上流の断崖に挟まれたところにある滝。落差は12m。 太宰が「津軽」執筆のために兄夫婦達と散策に出かけた場所です。太宰は兄と一緒に歩くのは10年以上ぶりで、もう無いだろうと小説の中で語っ...詳細を見る!
藤の滝
2009/10/19 20:28 [ 14330アクセス ]
 藤の滝へと続く林道の大部分は、かつて津軽森林鉄道の軌道でした。この道を通り、深い奥山から良質のヒバが切り出されました。 金木町の喜良市から小田川を溯り、約7kmの地点にある滝。雄滝、雌滝と2段の滝があり、ふたつを総称して藤の滝と呼ばれています。 雄滝が、太宰の小説「魚服記」の舞台となった場所とされ、雄滝の高さは、約30m。上流500mの場所には、多...詳細を見る!
ライオン岩展望所
2009/10/20 8:59 [ 13744アクセス ]
 小説「津軽」で、太宰治が乳母のたけと再会した場所へと、一文を刻んだ文学碑が各地にたてられている。2番目ライオン岩展望所の文学碑から眺める日本海に浮かぶ岩木山、必見です。 小泊にある「太宰とたけ再会の道」。 ライオン岩展望所の碑には―中古の頃から他国の船頭の出入があり、蝦夷 通いの船が、東風を避ける時には必ずこの港に仮泊することになって...詳細を見る!
雲祥寺の老松
2009/10/19 20:08 [ 13493アクセス ]
 樹齢500年の老松。雲祥寺の歴史を長く見守ってきた貴重な存在です。 太宰が幼い頃、よく子守のタケに連れられて遊んだり、道徳を学んだりした曹洞宗の禅寺・雲祥寺。境内にあるのが樹齢500年以上といわれている赤松です。 慶長元年(1596)から開かれた雲祥寺の歴史より古く、雲祥寺が建立されたとき、この松を生かして、現在の場所が選ばれたのではないかと推測さ...詳細を見る!
斜陽館通り(本町)
2009/10/19 20:06 [ 13327アクセス ]
 太宰治の生家「斜陽館」が通りの中心で存在感をたっぷり放っています。近隣には津軽三味線会館があります。 国指定重要文化財の太宰治記念館「斜陽館」から、国登録有形文化財旧西澤家住宅、金木観光物産館、青森銀行、青い森信用金庫のある通りは、斜陽館通りと呼ばれています。 かつて、旧津島家の周りには警察署、郵便局、裁判所、銀行などが軒を連ねており...詳細を見る!
メロス坂通り(南新町)
2009/10/19 20:00 [ 13186アクセス ]
 太宰治が実際に居住し作品を執筆した場所として実在する日本唯一の場所、太宰治疎開の家「旧津島家新座敷」がある通りです。 昭和5年、津軽鉄道開通に伴って出来た道路で、通称・南新町といわれています。 日本民間飛行家第一号・白戸榮之助生誕の地から太宰治疎開の家「新座敷」の通りで、太宰の作品「走れメロス」に因んで名付けられました。 津軽鉄道金木駅...詳細を見る!
高流れ山
2009/10/19 20:23 [ 12968アクセス ]
 太宰が「…ここにお城を築いて…」と書いた場所。金木町だけでなく岩木山や権現崎、遠くには日本海も見渡せる絶好の写真撮影スポットです。現在は私有地が大部分です。 五所川原市高長根、通称「高流れ山」。 小説「津軽」執筆の際散歩に行った、津軽平野が一望できる風光明媚な場所です。 「津軽」では、「二百メートルにも足りない、小山であるが見晴らしが...詳細を見る!
ふれあい運動場 太宰治文学碑
2009/10/20 8:53 [ 12965アクセス ]
 中泊町小泊にある「ふれあい運動場」は、小説「津軽」のクライマックスで、太宰の子守をしていたタケと太宰が30年ぶりに再会を果たした旧小泊国民学校運動場。 節に案内されて運動会の小屋(ワラムシロで作った小屋)の前で劇的な再会を果たしたのは、昼の12時45分頃だったといいます。「掛小屋へはいり、すぐそれと入違いに、たけが出て来た。『修治だ』私は笑っ...詳細を見る!
竜神様跡手前・太宰治文学碑
2009/10/20 8:50 [ 12958アクセス ]
 ―小泊までたずねて来てくれたかと思うと、ありがたいのだか、うれしいのだが、そんな事は、どうでもいいじゃ、まあ、よく来たなあ。「津軽」― 小泊にある「太宰とたけ再会の道」にある文学碑の1つ。太宰が小説執筆のためタケの家を訪ね、2人で運動会を眺めたあと、八重桜が咲く竜神様へお参りに行きます。 小説では2人きりのようだが、実際は近所の人達と6、...詳細を見る!
鹿ノ子川溜池
2009/10/19 20:24 [ 12502アクセス ]
 太宰が「津軽」執筆のために兄夫婦達とピクニックに出かけた場所です。 鹿ノ子川溜池は、「魚服記」の舞台となり、太宰が「津軽」執筆のために兄夫婦達と散策に出かけた場所です。 太宰は、兄と一緒に歩くのは10年以上ぶりで、今後はもう無いだろうと小説の中で語っています。 主要地方道・屏風山内真部線に沿ったところにあります。詳細を見る!
金木尋常小学校跡(公立金木病院駐車場中央付近)
2009/10/19 20:38 [ 12389アクセス ]
 八幡宮の境内にあった寺子屋が、明治5年の学制発布により小学校へ。明治35年、旧御蔵屋敷だった場所に尋常小学校が新築されました。 大正3年、太宰は就学前から文字が読めたため、5歳頃からこの小学校に通っていたといわれ、子守のタケが学校に連れて行ったそうです。 向かいにあった金木銀行の一室を、当時小学校教師の三上やゑが間借りし、叔母のきゑと仲がよ...詳細を見る!
円覚寺
2009/10/20 10:15 [ 12377アクセス ]
 国の重要文化財に指定されている薬師堂内厨子や船絵馬が奉納されています。また、船乗りたちが助かったお礼のために結っていたちょんまげを絵馬として奉納したものが公開されています。 深浦町にある円覚寺は、大同二丁亥年(807)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷東征の時に、厩戸皇子作の十一面観世音菩薩を安置し、観音堂を建立したのがはじまりと伝えられています...詳細を見る!

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