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太宰ミュージアム(金木周辺)

31 件

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1 - 20 件目 ( 31 件中)   前 1 2


芦野公園
2010/6/2 8:53 [ 11152アクセス ]
 芦野公園は、湖をもつおよそ80haの自然公園で、桜2,200本と松1,300本が湖畔に広がり、日本さくら名所百選に選ばれています。 作家 太宰治が少年の頃よく遊んだ場所で、太宰が歩いた遊歩道や文学碑があり、ファンや観光客が散策したりボート遊びをしたりしながら太宰を偲んでいます。 園内には、太宰治文学碑や太宰治像、歴史民俗資料館、津軽三味線発祥の碑のほか、...詳細を見る!
芦野公園駅
2010/6/1 15:35 [ 10005アクセス ]
 ゴールデンウィークに開催される「桜まつり」期間中には多くの乗客で賑わう。 園内の芦野湖に架けられた「夢の浮橋」を渡った湖岸に、恐山に次ぐ霊場「川倉賽の河原」がある。詳細を見る!
桜松橋
2010/6/1 13:41 [ 11517アクセス ]
 芦野湖をまたぐ吊り橋「桜松橋」。ここから見る湖畔の桜もまた格別です。すぐ横には太宰治文学碑があります。 桜松橋を渡ると、芦野湖に浮かぶ「夢の浮橋」へたどり着きます。ここから見る桜もまた格別で、湖面を優雅に歩くことができます。詳細を見る!
組合立明治高等小学校跡碑
2009/10/19 20:40 [ 32386アクセス ]
 思い出広場から芦野公園にむかう道端に建っています。県や市町村をまたいで学校を設立する場合、組合を作ります。 地方公共団体の組合による設立で、組合立明治高等小学校は、金木、嘉瀬、喜良市、武田の4ヵ村組合の創立。現在の金木小学校敷地にありました。 大正11年(1922)、太宰が尋常小学校を卒業後、太宰の成績が優秀なのは、地域実力者の息子に対する配慮と...詳細を見る!
金木尋常小学校跡(公立金木病院駐車場中央付近)
2009/10/19 20:38 [ 12053アクセス ]
 八幡宮の境内にあった寺子屋が、明治5年の学制発布により小学校へ。明治35年、旧御蔵屋敷だった場所に尋常小学校が新築されました。 大正3年、太宰は就学前から文字が読めたため、5歳頃からこの小学校に通っていたといわれ、子守のタケが学校に連れて行ったそうです。 向かいにあった金木銀行の一室を、当時小学校教師の三上やゑが間借りし、叔母のきゑと仲がよ...詳細を見る!
津軽鉄道 (風鈴列車・鈴虫列車・ストーブ列車)
2009/10/19 20:34 [ 27551アクセス ]
 昭和5年開業。五所川原から中里まで20.7kmの広大な田園地帯を走る津軽鉄道は、奥津軽のシンボル的存在です。 夏は、各車両に風鈴や短冊が下げられた「風鈴列車」、秋には鈴虫の籠が取り付けられた「鈴虫列車」、そして冬は、車内にダルマストーブが設置された「ストーブ列車」となって、車窓から銀世界を満喫することができます。 現在の金木駅は、交流プラザが併...詳細を見る!
嘉瀬観音山(嘉瀬スキー場)
2009/10/19 20:31 [ 16407アクセス ]
 観音山の高台からは、広く金木を見渡せます。津軽半島を縦断する山脈や眼下に広がる町並みを背景に写真撮影してはいかがでしょうか。 嘉瀬駅から東へ徒歩で約10分程の場所。標高70~90mで、松林に囲まれています。 東には、梵珠山脈の連なりが見渡せ、中央には大倉岳(676m)、袴越岳(627m)連峰、西は金木新田、西南には秀峰岩木山(1,625m)、北西には権現崎が見...詳細を見る!
馬禿山
2009/10/19 20:29 [ 15201アクセス ]
 馬禿山のすぐ近くまでは、車で進めますが、林道のため舗装されていません。どうしても禿げている場所に登りたい人は、登山道がないため自己責任で登ってください。 標高175mの馬禿山。中腹にある赤土の部分が八の字に禿げていて樹木が無く、小山の二箇所に草木が生えていない場所(シラス地層)があります。 奥州平泉で自害したといわれている源義経が、伝説では生...詳細を見る!
藤の滝
2009/10/19 20:28 [ 13983アクセス ]
 藤の滝へと続く林道の大部分は、かつて津軽森林鉄道の軌道でした。この道を通り、深い奥山から良質のヒバが切り出されました。 金木町の喜良市から小田川を溯り、約7kmの地点にある滝。雄滝、雌滝と2段の滝があり、ふたつを総称して藤の滝と呼ばれています。 雄滝が、太宰の小説「魚服記」の舞台となった場所とされ、雄滝の高さは、約30m。上流500mの場所には、多...詳細を見る!
鹿ノ子滝
2009/10/19 20:26 [ 14027アクセス ]
 春先は雪融け水が流れるため水量は多いが、5月~9月は下流の水田に水を送るため、ほとんど水の流れがありません。 主要地方道・屏風山内真部線に沿った、鹿ノ子川溜池上流の断崖に挟まれたところにある滝。落差は12m。 太宰が「津軽」執筆のために兄夫婦達と散策に出かけた場所です。太宰は兄と一緒に歩くのは10年以上ぶりで、もう無いだろうと小説の中で語っ...詳細を見る!
鹿ノ子川溜池
2009/10/19 20:24 [ 12154アクセス ]
 太宰が「津軽」執筆のために兄夫婦達とピクニックに出かけた場所です。 鹿ノ子川溜池は、「魚服記」の舞台となり、太宰が「津軽」執筆のために兄夫婦達と散策に出かけた場所です。 太宰は、兄と一緒に歩くのは10年以上ぶりで、今後はもう無いだろうと小説の中で語っています。 主要地方道・屏風山内真部線に沿ったところにあります。詳細を見る!
高流れ山
2009/10/19 20:23 [ 12573アクセス ]
 太宰が「…ここにお城を築いて…」と書いた場所。金木町だけでなく岩木山や権現崎、遠くには日本海も見渡せる絶好の写真撮影スポットです。現在は私有地が大部分です。 五所川原市高長根、通称「高流れ山」。 小説「津軽」執筆の際散歩に行った、津軽平野が一望できる風光明媚な場所です。 「津軽」では、「二百メートルにも足りない、小山であるが見晴らしが...詳細を見る!
十二本ヤス
2009/10/19 20:17 [ 25995アクセス ]
 十二本ヤスの周りにも数多く枝分かれしているヒバの大木が数本あります。神木とされる十二本ヤスの周囲は、ほとんど人の手が入っていない古い森です。 五所川原市金木町喜良市にある、樹齢800年以上という日本一のヒバの大木。 幹の途中で12本に枝が分かれて、ちょうど魚を突いて取るヤスの形をしているところから、「十二本ヤス」と呼ばれるようになりました。 ...詳細を見る!
南台寺
2009/10/19 20:09 [ 11671アクセス ]
 太宰の小説「帰去来」に登場し、今も現存する栗の大木。 南台寺は津島家の菩提寺で、明治42年(1909)から開かれている日曜学校があり、祖母いしの教育方針で、子守のタケが本を借りてきては太宰に読ませたそうです。 成人した太宰は、病気の母を見舞うために帰郷した時のことを「帰去来」に紹介。詳細を見る!
雲祥寺の老松
2009/10/19 20:08 [ 13115アクセス ]
 樹齢500年の老松。雲祥寺の歴史を長く見守ってきた貴重な存在です。 太宰が幼い頃、よく子守のタケに連れられて遊んだり、道徳を学んだりした曹洞宗の禅寺・雲祥寺。境内にあるのが樹齢500年以上といわれている赤松です。 慶長元年(1596)から開かれた雲祥寺の歴史より古く、雲祥寺が建立されたとき、この松を生かして、現在の場所が選ばれたのではないかと推測さ...詳細を見る!
斜陽館通り(本町)
2009/10/19 20:06 [ 12971アクセス ]
 太宰治の生家「斜陽館」が通りの中心で存在感をたっぷり放っています。近隣には津軽三味線会館があります。 国指定重要文化財の太宰治記念館「斜陽館」から、国登録有形文化財旧西澤家住宅、金木観光物産館、青森銀行、青い森信用金庫のある通りは、斜陽館通りと呼ばれています。 かつて、旧津島家の周りには警察署、郵便局、裁判所、銀行などが軒を連ねており...詳細を見る!
太宰通り
2009/10/19 20:04 [ 11110アクセス ]
 太宰の教養・道徳観に影響を与えた寺社群が立ち並ぶ通りです。地獄絵図・後生車の雲祥寺、津島家の菩提寺南台寺、津軽三味線会館がある通りです。 太宰治の生家・斜陽館を中心とした通りには、それぞれ名前が付けられており、雲祥寺前が太宰通りと呼ばれています。そして、斜陽館すぐ近くには商店街が形成され、こちらは「太宰通り商店街」と呼ばれ、地元の人に...詳細を見る!
八幡宮参道
2009/10/19 20:03 [ 9879アクセス ]
 八幡宮には神楽の舞台があり、神楽の他に伝統芸能が披露される場所です。 斜陽館を中心とした通りに名前が付けられており、八幡宮の前が八幡宮参道と呼ばれています。 八幡宮は、明治38年大火焼失後、明治41年に竣工。拝殿は地元の白常建築部の建築で平成20年に築100年を迎えました。後ろの本殿は平成21年で築100年になります。 本殿は、津島家と同じ堀江組の建築に...詳細を見る!
仁太坊通り(小川町・米町)
2009/10/19 20:01 [ 10776アクセス ]
 劇場や映画館、多数の飲食店など娯楽の中心地として金木で最も賑わった地域です。 通称・下町と呼ばれるこの通りは、津軽三味線の始祖・仁太坊が門付けをして歩いた通りです。 仁太坊は、「坊様三味線」「乞食三味線」とさげすまれながらも、「叩き奏法」や「八人芸」を編み出し、弟子を育て、現在の津軽三味線の原型を創った人物。 仁太坊亡き後、その奏法や...詳細を見る!
メロス坂通り(南新町)
2009/10/19 20:00 [ 12809アクセス ]
 太宰治が実際に居住し作品を執筆した場所として実在する日本唯一の場所、太宰治疎開の家「旧津島家新座敷」がある通りです。 昭和5年、津軽鉄道開通に伴って出来た道路で、通称・南新町といわれています。 日本民間飛行家第一号・白戸榮之助生誕の地から太宰治疎開の家「新座敷」の通りで、太宰の作品「走れメロス」に因んで名付けられました。 津軽鉄道金木駅...詳細を見る!

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