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![]() | 2009/10/20 9:41 [ 18257アクセス ] 「義経が海路の平安を祈って建てられた寺」という伝説が残る寺です。 小説「津軽」の中で、太宰とN君が石の階段を上って訪れた義経寺は、源義経の伝説が残る寺。 義経主従は平泉から逃れ三厩に至り北海道へ渡る際、海の荒れを鎮めるため、岩頭で三日三晩観音様に祈願したところ白髪の翁が現れ 3 頭の竜馬を与えると告げます。観音様を厩石に安置し、馬に乗って無...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/19 20:40 [ 32384アクセス ] 思い出広場から芦野公園にむかう道端に建っています。県や市町村をまたいで学校を設立する場合、組合を作ります。 地方公共団体の組合による設立で、組合立明治高等小学校は、金木、嘉瀬、喜良市、武田の4ヵ村組合の創立。現在の金木小学校敷地にありました。 大正11年(1922)、太宰が尋常小学校を卒業後、太宰の成績が優秀なのは、地域実力者の息子に対する配慮と...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 8:50 [ 12637アクセス ] ―小泊までたずねて来てくれたかと思うと、ありがたいのだか、うれしいのだが、そんな事は、どうでもいいじゃ、まあ、よく来たなあ。「津軽」― 小泊にある「太宰とたけ再会の道」にある文学碑の1つ。太宰が小説執筆のためタケの家を訪ね、2人で運動会を眺めたあと、八重桜が咲く竜神様へお参りに行きます。 小説では2人きりのようだが、実際は近所の人達と6、...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 9:34 [ 16242アクセス ] 浅虫海岸のシンボル「裸島」その名の通り裸の巨岩である。親子の悲しい伝説も残っています。 平安時代、法然がこの地を訪れた時、傷ついた鹿が湯浴みするのを見て発見した温泉。 海岸では、海水浴やウインドサーフィン、ヨット、釣り、森林浴、湯治が楽しめます。 「トカトントン」の舞台となり、「思ひ出」にも登場。太宰の家族も湯治で訪れています。詳細を見る! |
![]() | 2009/10/19 20:34 [ 27547アクセス ] 昭和5年開業。五所川原から中里まで20.7kmの広大な田園地帯を走る津軽鉄道は、奥津軽のシンボル的存在です。 夏は、各車両に風鈴や短冊が下げられた「風鈴列車」、秋には鈴虫の籠が取り付けられた「鈴虫列車」、そして冬は、車内にダルマストーブが設置された「ストーブ列車」となって、車窓から銀世界を満喫することができます。 現在の金木駅は、交流プラザが併...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/19 19:19 [ 20166アクセス ] 津軽鉄道では、四季をとおして「ストーブ列車」「風鈴列車」「鈴虫列車」等を運行。また、トレインアテンダントが乗車して、沿線の観光案内やおもてなしをしております。 昭和3年(1928)開通の津軽鉄道は、津軽五所川原を起点に太宰治の生家が残る金木を経由し、津軽中里まで津軽半島を20.7キロメートル縦断する鉄道。 季節の音色が美しい夏の風鈴列車や、秋の鈴虫列...詳細を見る! |
![]() | 2010/6/1 13:41 [ 11516アクセス ] 芦野湖をまたぐ吊り橋「桜松橋」。ここから見る湖畔の桜もまた格別です。すぐ横には太宰治文学碑があります。 桜松橋を渡ると、芦野湖に浮かぶ「夢の浮橋」へたどり着きます。ここから見る桜もまた格別で、湖面を優雅に歩くことができます。詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 8:55 [ 11805アクセス ] ―津軽へ来て、ぜひとも逢ってみたいひとがいた。私はその人を、自分の母だと思っているのだ。私の一生はその人に依って確定されたといってもいいかも知れない。「津軽」―「太宰とたけ再会の道」にある文学碑の1つ。 「津軽」で太宰は、幼少時代の子守であり、心の母ともいうべきたけに30年ぶりに会うのが、探訪の目的であり最大の願いでした。詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 10:12 [ 18920アクセス ] 太宰治がかつて宿泊し、小説「津軽」にも登場した旧秋田屋旅館を改装した文学館です。2階には実際に宿泊した部屋を当時のままに再現し、当時の料理を推測で再現されています。 深浦町にあった秋田屋旅館に、太宰は2回宿泊しています。 1度目は「津軽」執筆時。旅館の主人が兄・英治と中学校の同期生で、鮑のはらわたの塩辛をごちそうになり、自分の兄たちの勢力...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 9:21 [ 15551アクセス ] 春には青森春まつりが行われ、夏には海水浴が楽しめる場所です。公園内には青森市営球場があります。樹齢460年以上といわれる三譽の松は市文化財として天然記念物に指定されています。 大正12年(1923)、14歳の太宰は旧制県立青森中学校(現・青森高等学校)に入学、青森の親戚豊田太左衛門方(青森市寺町14番地)に下宿して通学しました。 2学期から卒業まで級長を通す一方...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/19 20:06 [ 12970アクセス ] 太宰治の生家「斜陽館」が通りの中心で存在感をたっぷり放っています。近隣には津軽三味線会館があります。 国指定重要文化財の太宰治記念館「斜陽館」から、国登録有形文化財旧西澤家住宅、金木観光物産館、青森銀行、青い森信用金庫のある通りは、斜陽館通りと呼ばれています。 かつて、旧津島家の周りには警察署、郵便局、裁判所、銀行などが軒を連ねており...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 9:16 [ 11231アクセス ] 青森市、旧国鉄の操車場跡地に整備されている遊歩道の一部は、「文芸のこみち」として、県内の文化人たちの石碑が建立されています。 太宰の石碑には「さらば読者よ 命あらばまた他日 元気で行こう 絶望するな では 失敬」と刻されています。詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 9:01 [ 11466アクセス ] 小泊地区では、太宰がタケに会うために通った道を「太宰とたけ再会の道」として定め、全長4.5kmのコースに「津軽」の一節を記した文学碑6基を建立しています。 折戸公園もその1つ。―私は小泊港に着いた。ここは人口二千五百くらいのささやかな漁村であるが、築港だけは、村に不似合いなくらい立派である。「津軽」―と刻まれています。詳細を見る! |
![]() | 2009/10/19 19:41 [ 23945アクセス ] 生家から旧組合立明治高等小学校跡へ続く道端にあり、太宰治の作品名プレートで囲まれた憩いの広場です。 太宰の作品名プレートが壁に埋め込まれた休憩スペース。 太宰が高等小学校に通うため、この付近を通過したと思われますが、現在の通りは新道で当時は少し遠回りをし、この辺りを通学したようです。 子ども達に郷土の生んだ作家に親しんでもらい、金木を...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 10:02 [ 18257アクセス ] 弘前大学と太宰治といえば、所属していた弘前高校新聞部や名簿碑・文学碑を想像しますが、実は付属図書館の太宰治研究文庫蔵書が魅力です。 旧官立弘前高等学校、太宰治は7回卒。 平成元年(1989)夏、創立70周年記念祭が開かれ、弘高生青春之像を建立。 旧制弘前高校卒業生名簿碑には、太宰の本名「津島修治」の名が刻まれています。 名水百選のひとつ「富田の清...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 9:31 [ 23402アクセス ] 常光寺や豊田家も含め、青森市内は昭和20年7月28日、予告されていた青森空襲で81%が消失しています。新型焼夷弾の実験で東北地方で最大の被害が出ました。 太宰は青森中学時代、金木からは遠くて通えないため、青森市寺町にあった叔母・きゑの後夫常吉の実家である呉服店・豊田太左衛門方に下宿していました。 隣接する常光寺は、棟方志功の菩提寺で、太...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/19 19:15 [ 19548アクセス ] 幼少にして亡くなった子供の名前を書いた2,000体もの地蔵や、人形堂には未婚の男女の霊を供養するための人形が供えられ、毎年大祭には、イタコによる口寄せが行われている。 恐山と並ぶ津軽の霊場。 川倉地蔵尊に関する伝説は古く、数千年前、この地方の天空に不思議な御燈明が飛来した時、その光に照らされた場所から発見されたと言い伝えられています。 例大祭...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 8:48 [ 29765アクセス ] 太宰と子守のタケが数十年振りの再開をした場所で「津軽」のラストシーンを具象化した像が建てられています。その他、タケが思い出を語る映像や資料の展示。 小説「津軽」の像に隣接する記念館。 館内には、小説「津軽」の誕生から、小説「津軽」のたどった足跡、越野タケと太宰治の年譜、写真、思い出の品をパネルなどで解説。映像音声コーナーとして、太宰の...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/19 20:04 [ 11108アクセス ] 太宰の教養・道徳観に影響を与えた寺社群が立ち並ぶ通りです。地獄絵図・後生車の雲祥寺、津島家の菩提寺南台寺、津軽三味線会館がある通りです。 太宰治の生家・斜陽館を中心とした通りには、それぞれ名前が付けられており、雲祥寺前が太宰通りと呼ばれています。そして、斜陽館すぐ近くには商店街が形成され、こちらは「太宰通り商店街」と呼ばれ、地元の人に...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/19 19:48 [ 12914アクセス ] 芦野公園内の太宰治文学碑近くにあり、生誕百年を記念して設置されました。太宰の目の方向が生家を見つめているように建てられています。 太宰治の生誕百年を記念し、生誕百年記念日の6月19日、五所川原市金木の芦野公園に建立された太宰治銅像。太宰の文学功績を讃えようと、太宰治銅像建立実行委員会が建立しました。 銅像は、東京都三鷹市の自宅付近を散歩し...詳細を見る! |