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![]() | 2010/6/2 8:53 [ 9126アクセス ] 芦野公園は、湖をもつおよそ80haの自然公園で、桜2,200本と松1,300本が湖畔に広がり、日本さくら名所百選に選ばれています。 作家 太宰治が少年の頃よく遊んだ場所で、太宰が歩いた遊歩道や文学碑があり、ファンや観光客が散策したりボート遊びをしたりしながら太宰を偲んでいます。 園内には、太宰治文学碑や太宰治像、歴史民俗資料館、津軽三味線発祥の碑のほか、...詳細を見る! |
![]() | 2010/6/1 15:35 [ 8386アクセス ] ゴールデンウィークに開催される「桜まつり」期間中には多くの乗客で賑わう。 園内の芦野湖に架けられた「夢の浮橋」を渡った湖岸に、恐山に次ぐ霊場「川倉賽の河原」がある。詳細を見る! |
![]() | 2010/6/1 13:41 [ 9461アクセス ] 芦野湖をまたぐ吊り橋「桜松橋」。ここから見る湖畔の桜もまた格別です。すぐ横には太宰治文学碑があります。 桜松橋を渡ると、芦野湖に浮かぶ橋で日本で第2位の長さの「夢の浮橋」へたどり着きます。ここから見る桜もまた格別で、湖面を優雅に歩くことができます。詳細を見る! |
![]() | 2010/5/11 14:15 [ 8985アクセス ] かなぎ元気村「かだるべぇ」とは、太宰治の津島家にゆかりのある傍島家の古民家をさまざまな分野の活動の場とし、次世代への伝統文化の伝承を目的とした施設です。平成21年度は、かなぎ里山大学校伝承スクールとして、環境と調和・共生してきた日本古来の里山文化、そして現代では触れることの少なくなった人の手によって受け継がれていく“ものづくり”の精神...詳細を見る! |
![]() | 2010/2/17 19:33 [ 4623アクセス ] 明治30年(1897)7月17日設立。資本金1万円。同族会社。背の高い厳重な柵の奥に、切妻屋根の和洋折衷、どこか簡素な教会を思わせる。 大正8年3月「株式会社金木銀行」に改称。 昭和13年8月11日、第五十九銀行に買収され、株式会社第五十九銀行金木支店となる。 その後、合併が進み現在の青森銀行となる。詳細を見る! |
![]() | 2010/2/17 18:05 [ 4532アクセス ] 津島家内にも電話が設置されていたという個室がある。大正七年に津島源右衛門が作成した金木俯瞰絵図には、津島邸の北隣に郵便局が記載されている。 当時の局長は津島忠次郎で津島家の親戚である。忠次郎のヤマ原商店と津島邸の間に郵便局があった。創設時の名称は、金木村郵便取扱所。一階で郵便・貯金等の業務を扱い、二階では電話等の通信業務をおこなっていた...詳細を見る! |
![]() | 2010/2/17 18:02 [ 4996アクセス ] 現在地に金木警察署があったのは、大正10年~昭和38年の間。地主である津島家を守護する役割として配置された。 明治8年5月、五所川原村に第五大区警察出張所が設けられ、金木村にその分署として、金木村第三巡査屯所ができ、事務を執るようになった。これが金木警察署のはじまり。金木、嘉瀬、喜良市、武田の4ヶ村を管轄区とした。 明治11年3月中里...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 10:18 [ 14839アクセス ] 作家葛西善蔵直筆の宿帳もみつかっています。 創業は明治初期、現在の建物は明治30年に建てられたもので、大鰐温泉で最も古い旅館。 平川河畔に面した閑静な宿には、近隣に住む裕福な家から多くの湯治客がやってきたそうで、金木の津島家(太宰の生家)も訪れた宿です。 官立弘前高校時代、1回目のカルモチン自殺をはかった太宰が、母と共に静養のために過ごし...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 10:15 [ 9469アクセス ] 国の重要文化財に指定されている薬師堂内厨子や船絵馬が奉納されています。また、船乗りたちが助かったお礼のために結っていたちょんまげを絵馬として奉納したものが公開されています。 深浦町にある円覚寺は、大同二丁亥年(807)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷東征の時に、厩戸皇子作の十一面観世音菩薩を安置し、観音堂を建立したのがはじまりと伝えられています...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 10:12 [ 14215アクセス ] 太宰治がかつて宿泊し、小説「津軽」にも登場した旧秋田屋旅館を改装した文学館です。2階には実際に宿泊した部屋を当時のままに再現し、当時の料理を推測で再現されています。 深浦町にあった秋田屋旅館に、太宰は2回宿泊しています。 1度目は「津軽」執筆時。旅館の主人が兄・英治と中学校の同期生で、鮑のはらわたの塩辛をごちそうになり、自分の兄たちの勢力...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 10:02 [ 12926アクセス ] 弘前大学と太宰治といえば、所属していた弘前高校新聞部や名簿碑・文学碑を想像しますが、実は付属図書館の太宰治研究文庫蔵書が魅力です。 旧官立弘前高等学校、太宰治は7回卒。 平成元年(1989)夏、創立70周年記念祭が開かれ、弘高生青春之像を建立。 旧制弘前高校卒業生名簿碑には、太宰の本名「津島修治」の名が刻まれています。 名水百選のひとつ「富田の清...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 9:59 [ 16543アクセス ] 官立弘前高校時代に、太宰は一年間義太夫を習っています。「壁に三味線がかけてあった」どこにかけていたのか。また百面相写真の撮影場所も気になります。 太宰治が官立弘前高等学校在学期間中の昭和2年4月から5年3月まで下宿していた旧藤田家住宅。2階奧の太宰の部屋は、押入、縁側、出窓が付いた6畳間。太宰が実際に使用した机や茶だんすなどが当時のままの状...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 9:56 [ 14210アクセス ] 弘前市のメインストリート・土手町から少し入った、かくみ小路にある「土手の珈琲屋 万茶ン」。 昭和4年(1929)に創業した喫茶店で、官立弘前高校時代の太宰が通ったほか、画家・阿部合成、小説家・石坂洋次郎らも足を運んだといわれています。 太宰が通った頃のレシピを再現した「昭和の珈琲」太宰ブレンドを飲むことができ、店内には弘前高校生が作ったという大...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 9:44 [ 17489アクセス ] 太宰治が宿泊した部屋に入れます。童女の歌声が聞こえてくるかもしれません。その他、宿帳には、太宰治(中村筆?)や中村貞次郎の宿帳や棟方志功も直筆で記帳も見れます。 太宰治が「津軽」執筆の折、親友N(中村貞次郎)君と泊まった宿。 持ち主である奥谷福太郎氏と隣接する土地の人達により外ヶ浜町へ無償譲渡され、平成20年4月「龍飛岬観光案内所」として生ま...詳細を見る! |
![]() | 2009/10/20 9:41 [ 12674アクセス ] 「義経が海路の平安を祈って建てられた寺」という伝説が残る寺です。 小説「津軽」の中で、太宰とN君が石の階段を上って訪れた義経寺は、源義経の伝説が残る寺。 義経主従は平泉から逃れ三厩に至り北海道へ渡る際、海の荒れを鎮めるため、岩頭で三日三晩観音様に祈願したところ白髪の翁が現れ 3 頭の竜馬を与えると告げます。観音様を厩石に安置し、馬に乗って無...詳細を見る! |
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