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トップ > 太宰Web文庫 > 兄たち
兄たち (p3/7)
のめしのことを指して言っているのだ。あのめしを噛《か》む、その瞬間の感じのことだ。動物的な、満足である。下品な話だ。……」
 私は、未だ中学生であったけれども、長兄のそんな述懐を、せっせと筆記しながら、兄を、たまらなく可哀想に思いました。A県の近衛公だなぞと無智なおだてかたはしても、兄のほんとうの淋しさは、誰も知らないのだと思いました。
 次兄は、この創刊号には、何も発表なさらなかったようですが、この兄は、谷崎潤一郎の初期からの愛読者でありました。それから、また、吉井勇の人柄を、とても好いていました。次兄は、酒にも強く、親分気質の豪快な心を持っていて、けれども、決して酒に負けず、いつでも長兄の相談相手になって、まじめに物事を処理し、謙遜な人でありました。そうしてひそかに、吉井勇の、「紅燈に行きてふたたび帰らざる人をまことのわれと思ふや。」というような鬱勃《うつぼつ》の雄心を愛して居られたのではないかと思われます。いつか鳩《はと》に就いての随筆を、地方の新聞に発表して、それに次兄の近影も掲載されて在りましたがその時、どうだ、この写真で見ると、おれも、ちょっとした文士だね、吉井勇に似ているね、と冗談に威張って見せました。顔も、左団次みたいな、立派な顔をしていました。長兄の顔は、線が細く、松蔦《しょうちょう》のようだと、これも家中の評判でありました。ふたり共、それをちゃんと意識していて、お酒に酔ったとき、掛合いで左団次松蔦の鳥辺山《とりべやま》心中や皿屋敷などの声色を、はじめることさえ、たまにはありました。
 そんなとき、二階の西洋間のソファにひとり寝ころんで、遠く兄たち二人の声色を聞き、けッと毒笑しているのが、三男でありました。この兄は美術学校にはいっていたのですが、からだが弱いので、あまり塑像のほうへは精を出さず、小説に夢中になって居りました。文学の友だちもたくさんあって、その友人たちと「十字街」という同人雑誌を発行し、ご自身は、その表紙の絵をかいたり、また、たまには「苦笑に終る」などという淡彩の小説を書いて発表したりしていました。夢川利一という筆名だったので、兄や姉たちは、ひどい名前だといって閉口し、笑っていました。RIICHI UMEKAWA とロオマ字でもって印刷した名刺を作らせ、少し気取って私にも一枚くださいましたが、読んでみると、リイチ・ウメカワとなっているので、私まで、ひやっとして、兄さんは、ユメカワでしょう? わざと、こう刷らせたの? とたずねたら、兄は、
「やあ、しまった。おれは、ウメカワじゃ無いんだ。」と言って、顔を真赤になさいました。もう、名刺を、友人や先輩、または馴染《なじみ》の喫茶店に差し上げてしまっていたのです。印刷所の手落ちでは無く、兄がちゃんと UMEKAWA と指定してやったものらしく、uという字を、英語読みにユウと読んでしまうことは、誰でも犯し易い間違いであります。家中、いよいよ大笑いになって、それからは私の家では、梅川先生だの、忠兵衛先生だのと呼ばれるようになりました。この兄は、からだが弱くて、十年まえ、二十八歳で死にました。顔が、不思議なくらい美しく、そのころ姉たちが読んでいた少女雑誌に、フキヤ・コウジとかいう人の画いた、眼の大きい、からだの細い少女の口絵が毎月出ていましたけれど、兄の顔は、あの少女の顔にそっくりで、私は時々ぼんやり、その兄の顔を眺めていて、

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