古典風 (p3/11) 様が無い。」女の子は声を立てずに慟哭《どうこく》をはじめた。美濃は少し愉快になる。よい朝だと思った。 「母上がよくない。ろくに読めもしない洋書なんかを買い込んで、ただページを切って、それだけでお得意、たいへんなお道楽だ。」美濃は寝たままで思いきり大袈裟《おおげさ》に背伸びした。 「いいえ、」女は上半身を起し、髪を掻《か》きあげて、「奥様は、ご立派なお方です。あたし、親兄弟の蔭口きくかた、いやです。」 美濃はのそりと起き、ベッドの上にあぐらをかいた。ひそかに苦笑している。 「君は、いくつだね?」 「十九歳になります。」素直にそう答えて、顔を伏せた。うれしそうであった。 「もうお帰り。」美濃は、下婢のとしなど尋ねた自分を下品だと思った。 女は、マットに片手をついて横坐りのまま、じっとしていた。 「誰にも言いやしない。いいから、早く出て行って呉《く》れないか。」 女の子には、何よりもナイフが欲しかった。光る手裏剣《しゅりけん》が欲しかった。流石《さすが》に、下さい。とは言い得なかった。汗でぐしょぐしょになるほど握りしめていた掌中のナイフを、力一ぱいマットに投げ捨て、脱兎《だっと》の如《ごと》く部屋から飛び出た。 B 尾上《おのえ》てるは、含羞《はにか》むような笑顔《えがお》と、しなやかな四肢とを持った気性のつよい娘であった。浅草の或る町の三味線職の長女として生れた。かなりの店であったが、てるが十三の時、父は大酒のために指がふるえて仕事がうまく出来なくなり、職人をたのんでも思うようにゆかず、ほとんど店は崩壊したのである。てるは、千住の蕎麦《そば》屋に住込みで奉公する事になった。千住に二年つとめて、それから月島のミルクホールに少しいて、さらに上野の米久《よねきゅう》に移り住んだ。ここに三年いたのである。わずかなお給金の中から、二円でも三円でも毎月かかさず親元へ仕送りをつづけた。十八になって、向島の待合の下女をつとめ、そこの常客である新派の爺さん役者をだまそうとして、かえってだまされ、恥ずかしさのあまり、ナフタリンを食べて、死んだふりをして見せた。待合から、ひまを出されて、五年ぶりで生家へ帰った。生家では、三年まえに勘蔵という腕のよい実直な職人を捜し当て、すべて店を任せ、どうやら恢復《かいふく》しかけていた。てるは、無理に奉公に出ずともよかった。てるは、殊勝らしく家事の手伝い、お針の稽古《けいこ》などをはじめた。てるには、弟がひとりあった。てるに似ず、無口で、弱気な子であった。勘蔵に教えられ、店の仕事に精出していた。てるの老父母は、この勘蔵にてるをめあわせ、末永く弟の後見をさせたい腹であった。てるも、勘蔵も、両親のその計画にうすうす感づいてはいたが、けれども、お互いに、いやでなかった。十九歳になった。てるも追々お嫁さんになれるとしごろになったのだから、ただ行儀見習いだけのつもりで、ひとつ
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