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トップ > 太宰Web文庫 > きりぎりす
きりぎりす (p3/10)
ぼんやり考えて居りました。丁度その時に、あなたのほうからの、あのお話があったのでした。ずいぶん乱暴な話だったので、父も母も、はじめから不機嫌でした。だって、あの骨董屋《こっとうや》の但馬《たじま》さんが、父の会社へ画を売りに来て、れいのお喋《しゃべ》りを、さんざんした揚句の果に、この画の作者は、いまにきっと、ものになります。どうです、お嬢さんを等と不謹慎な冗談を言い出して、父は、いい加減に聞き流し、とにかく画だけは買って会社の応接室の壁に掛けて置いたら、二、三日して、また但馬さんがやって来て、こんどは本気に申し込んだというじゃありませんか。乱暴だわ。お使者の但馬さんも但馬さんなら、その但馬さんにそんな事を頼む男も男だ、と父も母も呆《あき》れていました。でも、あとで、あなたにお伺いして、それは、あなたの全然ご存じなかった事で、すべては但馬さんの忠義な一存からだったという事が、わかりました。但馬さんには、ずいぶんお世話になりました。いまの、あなたの御出世も、但馬さんのお蔭よ。本当に、あなたには、商売を離れて尽して下さった。あなたを見込んだというわけね。これからも、但馬さんを忘れては、いけません。あの時、私は但馬さんの無鉄砲な申し込みの話を聞いて、少し驚きながらも、ふっと、あなたにお逢いしてみたくなりました。なんだか、とても嬉《うれ》しかったの。私は、或《あ》る日こっそり父の会社に、あなたの画を見に行きました。その時のことを、あなたにお話し申したかしら。私は父に用事のある振りをして応接室にはいり、ひとりで、つくづくあなたの画を見ました。あの日は、とても寒かった。火の気の無い、広い応接室の隅《すみ》に、ぶるぶる震えながら立って、あなたの画を見ていました。あれは、小さい庭と、日当りのいい縁側の画でした。縁側には、誰も坐《すわ》っていないで、白い座蒲団《ざぶとん》だけが一つ、置かれていました。青と黄色と、白だけの画でした。見ているうちに、私は、もっとひどく、立って居られないくらいに震えて来ました。この画は、私でなければ、わからないのだと思いました。真面目《まじめ》に申し上げているのですから、お笑いになっては、いけません。私は、あの画を見てから、二、三日、夜も昼も、からだが震えてなりませんでした。どうしても、あなたのとこへ、お嫁に行かなければ、と思いました。蓮葉《はすは》な事で、からだが燃えるように恥ずかしく思いましたが、私は母にお願いしました。母は、とても、いやな顔をしました。私はけれども、それは覚悟していた事でしたので、あきらめずに、こんどは直接、但馬さんに御返事いたしました。但馬さんは大声で、えらい! とおっしゃって立ち上り、椅子に躓《つまず》いて転びましたが、あの時は、私も但馬さんも、ちっとも笑いませんでした。それからの事は、あなたも、よく御承知の筈《はず》でございます。私の家では、あなたの評判は、日が経《た》つにつれて、いよいよ悪くなる一方でした。あなたが、瀬戸内海の故郷から、親にも無断で東京へ飛び出して来て、御両親は勿論《もちろん》、親戚の人ことごとくが、あなたに愛想づかしをしている事、お酒を飲む事、展覧会に、いちども出品していない事、左翼らしいという事、美術学校を卒業しているかどうか怪しいという事、その他たくさん、どこで調べて来るのか、父も母も、さまざまの事実を私に言い聞かせて叱《しか》りました。けれども、但馬さんの熱心なとりなしで、どうやら見合いまでには漕《こ》ぎつけました。千疋屋《せんびきや》
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