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饗応夫人 (p3/7)
間住んでいらして、その折、笹島先生は独身で同じアパートに住んでいたので、それで、ほんのわずかの間ながら親交があって、ご主人がこちらへお移りになってからは、やはりご研究の畑がちがうせいもございますのか、お互いお家を訪問し合う事も無く、それっきりのお附き合いになってしまって、それ以来、十何年とか経って、偶然、このまちのマーケットで、ここの奥さまを見つけて、声をかけたのだそうです。呼びかけられて、ここの奥さまもまた、ただ挨拶《あいさつ》だけにして別れたらよいのに、本当に、よせばよいのに、れいの持ち前の歓待癖を出して、うちはすぐそこですから、まあ、どうぞ、いいじゃありませんか、など引きとめたくも無いのに、お客をおそれてかえって逆上して必死で引きとめた様子で、笹島先生は、二重廻しに買物籠《かいものかご》、というへんな恰好《かっこう》で、この家へやって来られて、
「やあ、たいへん結構な住居《すまい》じゃないか。戦災をまぬかれたとは、悪運つよしだ。同居人がいないのかね。それはどうも、ぜいたくすぎるね。いや、もっとも、女ばかりの家庭で、しかもこんなにきちんとお掃除の行きとどいている家には、かえって同居をたのみにくいものだ。同居させてもらっても窮屈だろうからね。しかし、奥さんが、こんなに近くに住んでいるとは思わなかった。お家がM町とは聞いていたけど、しかし、人間て、まが抜けているものですね、僕はこっちへ流れて来て、もう一年ちかくなるのに、全然ここの標札に気がつかなかった。この家の前を、よく通るんですがね、マーケットに買い物に行く時は、かならず、ここの路《みち》をとおるんですよ。いや、僕もこんどの戦争では、ひどいめに遭《あ》いましてね、結婚してすぐ召集されて、やっと帰ってみると家は綺麗《きれい》に焼かれて、女房は留守中に生れた男の子と一緒に千葉県の女房の実家に避難していて、東京に呼び戻したくても住む家が無い、という現状ですからね、やむを得ず僕ひとり、そこの雑貨店の奥の三畳間を借りて自炊《じすい》生活ですよ、今夜は、ひとつ鳥鍋でも作って大ざけでも飲んでみようかと思って、こんな買物籠などぶらさげてマーケットをうろついていたというわけなんだが、やけくそですよ、もうこうなればね。自分でも生きているんだか死んでいるんだか、わかりやしない。」
 客間に大あぐらをかいて、ご自分の事ばかり言っていらっしゃいます。
「お気の毒に。」
 と奥さまは、おっしゃって、もう、はや、れいの逆上の饗応癖がはじまり、目つきをかえてお勝手へ小走りに走って来られて、
「ウメちゃん、すみません。」
 と私にあやまって、それから鳥鍋の仕度《したく》とお酒の準備を言いつけ、それからまた身をひるがえして客間へ飛んで行き、と思うとすぐにまたお勝手へ駈《か》け戻って来て火をおこすやら、お茶道具を出すやら、いかにまいどの事とは言いながら、その興奮と緊張とあわて加減は、いじらしいのを通りこして、にがにがしい感じさえするのでした。
 笹島先生もまた図々《ずうずう》しく、
「やあ、鳥鍋ですか、失礼ながら奥さん、僕は鳥鍋にはかならず、糸こんにゃくをいれる事

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