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鴎 (p3/11)
ではない。のどまで出かかっているような気がするのだが、なんとしても出て来ない。それはほんとうにいい言葉のような気もするのであるが、そうして私も今その言葉を、はっきり掴《つか》みたいのであるが、あせると尚《なお》さら、その言葉が、するりするりと逃げ廻る。私は赤面して、無能者の如く、ぼんやり立ったままである。一片の愛国の詩も書けぬ。なんにも書けぬ。ある日、思いを込めて吐いた言葉は、なんたるぶざま、「死のう! バンザイ。」ただ死んでみせるより他に、忠誠の方法を知らぬ私は、やはり田舎《いなか》くさい馬鹿である。
 私は、矮小《わいしょう》無力の市民である。まずしい慰問袋を作り、妻にそれを持たせて郵便局に行かせる。戦線から、ていねいな受取通知が来る。私はそれを読み、顔から火の発する思いである。恥ずかしさ。文字のとおりに「恐縮」である。私には、何もできぬのだ。私には、何一つ毅然《きぜん》たる言葉が無いのだ。祖国愛の、おくめんも無き宣言が、なぜだか、私には、できぬのだ。こっそり戦線の友人たちに、卑屈な手紙を書いているだけなのである。(私は、いま何もかも正直に言ってしまおうと思っている。)私の慰問の手紙は、実に、下手くそなのである。嘘ばかり書いている。自分ながら呆《あき》れるほど、歯の浮くような、いやらしいお世辞なども書くのである。どうしてだろう。なぜ私は、こんなに、戦線の人に対して卑屈になるのだろう。私だって、いのちをこめて、いい芸術を残そうと努めている筈《はず》では無かったか。そのたった一つの、ささやかな誇りをさえ、私は捨てようとしている。戦線からも、小説の原稿が送られて来る。雑誌社へ紹介せよ、というのである。その原稿は、洋箋《ようせん》に、米つぶくらいの小さい字で、くしゃくしゃに書かれて在るもので、ずいぶん長いものもあれば、洋箋二枚くらいの短篇もある。私は、それを真剣に読む。よくないのである。その紙に書かれてある戦地風景は、私が陋屋《ろうおく》の机に頬杖ついて空想する風景を一歩も出ていない。新しい感動の発見が、その原稿の、どこにも無い。「感激を覚えた。」とは、書いてあるが、その感激は、ありきたりの悪い文学に教えこまれ、こんなところで、こんな工合《ぐあい》に感激すれば、いかにも小説らしくなる、「まとまる」と、いい加減に心得て、浅薄に感激している性質のものばかりなのである。私は、兵隊さんの泥と汗と血の労苦を、ただ思うだけでも、肉体的に充分にそれを感取できるし、こちらが、何も、ものが言えなくなるほど崇敬している。崇敬という言葉さえ、しらじらしいのである。言えなくなるのだ。何も、言葉が無くなるのだ。私は、ただしゃがんで指でもって砂の上に文字を書いては消し、書いては消し、しているばかりなのだ。何も言えない。何も書けない。けれども、芸術に於いては、ちがうのだ。歯が、ぼろぼろに欠け、背中は曲り、ぜんそくに苦しみながらも、小暗い露路で、一生懸命ヴァイオリンを奏している、かの見るかげもない老爺《ろうや》の辻《つじ》音楽師を、諸君は、笑うことができるであろうか。私は、自身を、それに近いと思っている。社会的には、もう最初から私は敗残しているのである。けれども、芸術。それを言うのも亦《また》、実に、てれくさくて、かなわぬのだが、私は痴《こけ》の一念で、そいつを究明しようと思う。男子一生の業として、足りる、と私は思っている。辻音楽師には、辻音楽師の王国が在るのだ。私は、兵

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