家庭の幸福 (p3/9) などと、必死のごまかしの質問を発し、二重まわしを脱いで、部屋に一歩踏み込むと、箪笥《たんす》の上からラジオの声。「買ったのかい? これを」 私には外泊の弱味がある。怒る事が出来なかった。 「これは、マサ子のよ」 と七歳の長女は得意顔で、 「お母さんと一緒に吉祥寺へ行って、買って来たのよ」 「それは、よかったねえ」 と父は子供には、あいそを言い、それから母に向って小声で、 「高かったろう。いくらだった?」 千いくらだったと母は答える。 「高い。いったいお前は、どこから、そんな大金を算段出来たの?」 父は酒と煙草とおいしい副食物のために、いつもお金に窮して、それこそ、あちこち、あちこちの出版社から、ひどい借金をしてしまって、いきおい家庭は貧寒、母の財布には、せいぜい百円紙幣三、四枚、というのが、全くいつわりの無い実状なのである。 「お父さんの一晩のお酒代にも足りないのに、大金だなんて、……」 母もさすがに呆れたのか、笑いながら陳弁するには、お父さんのお留守のあいだに雑誌社のかたが原稿料をとどけて下さったので、この折と吉祥寺へ行って、思い切って買ってしまいました、この受信機が一ばん安かったのです、マサ子も可哀想ですよ、来年は学校ですから、ラジオでもって、少し音楽の教育をしてやらなければなりません、また私だって、夜おそくまであなたの御帰宅を待ちながら、つくろいものなんかしている時、ラジオでも聞いていると、どんなに気がまぎれて助かるかわかりませんわ。 「めしにしよう」 こんな経緯で、私の家にもラジオというものが、そなわったけれども、私は相かわらず、あちこち、あちこちなので、しみじみ聴取した事は、ほとんど無いのである。たまに私の作品が放送せられる時でも、私は、うっかり聞きのがす。 つまり、一言にしていえば、私はラジオに期待していなかったのである。 ところが先日、病気で寝ながら、ラジオの所謂「番組」の、はじめから終りまで、ほとんど全部を聞いてみた。聞いてみると、これもやはりアメリカの人たちの指導のおかげか、戦前、戦時中のあの野暮ったさは幾分消えて、なんと、なかなか賑《にぎ》やかなもので、突如として教会の鐘のごときものが鳴り出したり、琴の音が響いて来たり、また間断無く外国古典名曲のレコード、どうにもいろいろと工夫に富み、聴き手を飽かせまいという親切心から、幕間というものが一刻も無く、うっかり聞いているうちに昼になり、夜になり、一ページの読書も出来ないという仕掛けになっているのである。そうして、夜の八時だか九時だかに、私は妙なものを聴取した。 街頭録音というものである。所謂政府の役人と、所謂民衆とが街頭に於いて互いに意見を
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