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トップ > 太宰Web文庫 > 喝采
喝采 (p2/6)
      手招きを受けたる童子
        いそいそと壇にのぼりつ


「書きたくないことだけを、しのんで書き、困難と思われたる形式だけを、えらんで創り、デパートの紙包さげてぞろぞろ路ゆく小市民のモラルの一切を否定し、十九歳の春、わが名は海賊の王、チャイルド・ハロルド、清らなる一行の詩の作者、たそがれ、うなだれつつ街をよぎれば、家々の門口より、ほの白き乙女の影、走り寄りて桃金嬢《てんにんか》の冠を捧《ささ》ぐとか、真なるもの、美なるもの、兀鷹《はげたか》の怒、鳩《はと》の愛、四季を通じて五月の風、夕立ち、はれては青葉したたり、いずかたよりぞレモンの香、やさしき人のみ住むという、太陽の国、果樹の園、あこがれ求めて、梶《かじ》は釘づけ、ただまっしぐらの冒険旅行、わが身は、船長にして一等旅客、同時に老練の司厨長《しちゅうちょう》、嵐よ来い。竜巻よ来い。弓矢、来い。氷山、来い。渦まく淵を恐れず、暗礁おそれず、誰ひとり知らぬ朝、出帆、さらば、ふるさと、わかれの言葉、いいも終らずたちまち坐礁《ざしょう》、不吉きわまる門出であった。新調のその船の名は、細胞文芸、井伏鱒二、林房雄、久野豊彦、崎山兄弟、舟橋聖一、藤田郁義、井上幸次郎、その他数氏、未《いま》だほとんど無名にして、それぞれ、辻馬車、鷲の巣、十字街、青空、驢馬《ろば》、等々の同人雑誌の選手なりしを手紙で頼んで、小説の原稿もらい、地方に於ては堂々の文芸雑誌、表紙三度刷、百頁近きもの、六百部刷って創刊号、三十部くらい売れたであろうか。もすこし売りたく、二号には古屋信子の原稿もらって、私、末代までの恥辱、逢《あ》う人、逢う人に笑われるなどの挿話まで残して、三号出し、損害かれこれ五百円、それでも三号雑誌と言われたくなくて、ただそれだけの理由でもって、むりやり四号印刷して、そのときの編輯後記、『今迄で、三回出したけれど、何時《いつ》だって得意な気持で出した覚えがないのである。罵倒号など、僕の死ぬ迄、思い出させては赤面させる代物《しろもの》らしいのである。どんな雑誌の編輯後記を見ても、大した気焔《きえん》なのが、羨ましいとも感じて居る。僕は恥辱を忍んで言うのだけれど、なんの為《ため》に雑誌を作るのか実は判らぬのである。単なる売名的のものではなかろうか。それなら止した方がいいのではあるまいか。いつも僕はつらい思いをしている。こんなものを、――そんな感じがして閉口して居る。殆《ほとん》ど自分一人で何から何迄、やって来たのだが、それだけ余計に僕は此《こ》の雑誌にこだわって居る。此の雑誌を出してからは、僕は自分の所謂《いわゆる》素質というものに、とても不安を感じて来た。他人の悪口も言えなくなったし……。こんな意気地のない狡猾《こうかつ》な奴になったのが、やたらに淋しく思われもするのだ。事毎にいい子に成りたがるからいけないのだ。編輯上にも色々変った計画があったのだが、気おくれがして一つもやれなかった。心にも無い、こんなじみなものにして了った。自分の小才を押えて仕事をするのは苦しいもんであると僕は思う。事実とても苦しかった。』先夜ひそかに如上《じょじょう》の文章を読みかえしてみて、おのが思念の風貌、十春秋、ほとんど変っていないことを知るに及んで呆然たり、いや、いや、十春秋一日の如く変らぬわが眉間《みけん》の沈痛の色に、今更ながらうんざりしたのである。わが名は安易の敵、有頂天の小姑《こじゅう

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