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ろまん燈籠 (p5/31)
ひそかに短篇小説に取りいれたその時の入江の家の雰囲気《ふんいき》に他ならないという一事である。いまの入江家は、少し違っている。結婚した人もある。亡《な》くなられた人さえある。四年以前にくらべて、いささか暗くなっているようである。そうして私も、いまは入江の家に、昔ほど気楽に遊びに行けなくなってしまった。つまり、五人の兄妹も、また私も、みんなが少しずつ大人《おとな》になってしまって、礼儀も正しく、よそよそしく、いわゆる、あの「社会人」というものになった様子で、お互い、たまに逢っても、ちっとも面白くないのである。はっきり言えば、現在の入江家は、私にとって、あまり興味がないのである。書くならば、四年前の入江家を書きたいのである。それゆえ、私の之から叙述するのも、四年前の入江の家の姿である。現在は、少し違っている。それだけをお断りして置いて、さて、その頃の祖父は、――毎日、何もせずに遊んでばかりいたようである。もし入江の家系に、非凡な浪曼の血が流れているとしたならば、それは、此《こ》の祖父から、はじまったものではないかと思われる。もはや八十を過ぎている。毎日、用事ありげに、麹町《こうじまち》の自宅の裏門から、そそくさと出掛ける。実に素早い。この祖父は、壮年の頃は横浜で、かなりの貿易商を営んでいたのである。令息の故新之助氏が、美術学校へ入学した時にも、少しも反対せぬばかりか、かえって身辺の者に誇ってさえいたというほどの豪傑である。としとって隠居してからでも、なかなか家にじっとしてはいない。家人のすきを覗《うかが》っては、ひらりと身をひるがえして裏門から脱出する。すたすた二、三丁歩いて、うしろを振り返り、家人が誰もついて来ないという事を見とどけてから、懐中より鳥打帽をひょいと取出して、あみだにかぶるのである。派手な格子縞《こうしじま》の鳥打帽であるが、ひどく古びている。けれども、これをかぶらないと散歩の気分が出ないのである。四十年間、愛用している。これをかぶって、銀座に出る。資生堂へはいって、ショコラというものを注文する。ショコラ一ぱいに、一時間も二時間も、ねばっている。あちら、こちらを見渡し、むかしの商売仲間が若い芸妓《げいぎ》などを連れて現れると、たちまち大声で呼び掛け、放すものでない。無理矢理、自分のボックスに坐らせて、ゆるゆると厭味《いやみ》を言い出す。これが、怺《こら》えられぬ楽しみである。家へ帰る時には、必ず、誰かに僅かなお土産《みやげ》を買って行く。やはり、気がひけるのである。このごろは、めっきり又、家族の御機嫌を伺うようになった。勲章を発明した。メキシコの銀貨に穴をあけて赤い絹紐《きぬひも》を通し、家族に於いて、その一週間もっとも功労のあったものに、之《これ》を贈呈するという案である。誰も、あまり欲しがらなかった。その勲章をもらったが最後、その一週間は、家に在るとき必ず胸に吊り下げていなければいけないというのであるから、家族ひとしく閉口している。母は、舅《しゅうと》に孝行であるから、それをもらっても、ありがたそうな顔をして、帯の上に、それでもなるべく目立たないように吊り下げる。祖父の晩酌のビイルを一本多くした時には、母は、いや応なしに、この勲章をその場で授与されてしまうのである。長兄も、真面目な性質であるから、たまに祖父の寄席《よせ》のお伴の功などで、うっかり授与されてしまう事があっても、それでも流石《さすが》に悪びれず、一週間、胸にちゃんと吊り下げている。長女、次男は、逃げ廻っている。長女は、私
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