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トップ > 太宰Web文庫 > ろまん燈籠
ろまん燈籠 (p4/31)
自身で接吻して、うっとり眼をつぶってみたり、いちど鼻の先に、針で突いたような小さい吹出物して、憂鬱のあまり、自殺を計った事がある。読書の撰定に特色がある。明治初年の、佳人之奇遇、経国美談などを、古本屋から捜して来て、ひとりで、くすくす笑いながら読んでいる。黒岩|涙香《るいこう》、森田|思軒《しけん》などの飜訳をも、好んで読む。どこから手に入れて来るのか、名の知れぬ同人雑誌をたくさん集めて、面白いなあ、うまいなあ、と真顔で呟《つぶや》きながら、端から端まで、たんねんに読破している。ほんとうは、鏡花《きょうか》をひそかに、最も愛読していた。
 末弟は、十八歳である。ことし一高の、理科甲類に入学したばかりである。高等学校へはいってから、かれの態度が俄然《がぜん》かわった。兄たち、姉たちには、それが可笑《おか》しくてならない。けれども末弟は、大まじめである。家庭内のどんなささやかな紛争にでも、必ず末弟は、ぬっと顔を出し、たのまれもせぬのに思案深げに審判を下して、これには、母をはじめ一家中、閉口している。いきおい末弟は一家中から敬遠の形である。末弟には、それが不満でならない。長女は、かれのぶっとふくれた不機嫌の顔を見かねて、ひとりでは大人《おとな》になった気でいても、誰も大人と見ぬぞかなしき、という和歌を一首つくって末弟に与えかれの在野遺賢の無聊《ぶりょう》をなぐさめてやった。顔が熊の子のようで、愛くるしいので、きょうだいたちが、何かとかれにかまいすぎて、それがために、かれは多少おっちょこちょいのところがある。探偵小説を好む。ときどきひとり部屋の中で、変装してみたりなどしている。語学の勉強と称して、和文対訳のドイルのものを買って来て、和文のところばかり読んでいる。きょうだい中で、家のことを心配しているのは自分だけだと、ひそかに悲壮の感に打たれている。――
 以上が、その短篇小説の冒頭の文章であって、それから、ささやかな事件が、わずかに展開するという仕組みになっていたのであるが、それは、もとよりたわいの無い作品であった事は前にも述べた。私の愛着は、その作品に対してよりも、その作中の家族に対してのほうが強いのである。私は、あの家庭全体を好きであった。たしかに、実在の家庭であった。すなわち、故人、入江新之助氏の遺家族のスケッチに違いないのである。もっとも、それは必ずしも事実そのままの叙述ではなかった。大げさな言いかたで、自分でも少からず狼狽《ろうばい》しながら申し上げるのであるが、謂わば、詩と真実以外のものは、適度に整理して叙述した、というわけなのである。ところどころに、大嘘をさえ、まぜている。けれども、大体は、あの入江の家庭の姿を、写したものだ。一毛《いちもう》に於いて差異はあっても、九牛《きゅうぎゅう》に於いては、リアルであるというわけなのだ。もっとも私は、あの短篇小説に於いて、兄妹五人と、それから優しく賢明な御母堂に就《つ》いてだけ書いたばかりで、祖父ならびに祖母の事は、作品構成の都合上、無礼千万にも割愛してしまっているのである。これは、たしかに不当なる処置であった。入江の家を語るのに、その祖父、祖母を除外しては、やはり、どうしても不完全のようである。私は、いまはそのお二人に就いても語って置きたいのである。そのまえに一つお断りしなければならない事がある。それは、私の之《これ》からの叙述の全部は、現在ことしの、入江の家の姿ではなく、四年前に私が

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