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トップ > 太宰Web文庫 > 懶惰の歌留多
懶惰の歌留多 (p4/12)
な男が、女房に言いつけられて、風呂敷持って、いそいそ町へ、ねぎ買いに出かけるとは、これは、あまりにひどすぎる。怠け者にちがいない。こんな生活は、いかん。なんにもしないで、うろうろして、女房も見かねて、夕食の買い物をたのむ。よくあることだ。たのまれて、うん、ねぎを五銭だね、と首肯し、ばかなやつ、帯をしめ直して、何か自分がいささかでも役に立つことがうれしく、いそいそ、風呂敷もって、買い物に出かける。情ない、情ない。眉ふとく、鬚《ひげ》の剃り跡青き立派な男じゃないか。私は、多少|狼狽《ろうばい》して、その本を閉じ、そっと本棚へ返して、それからまた、なんということもない。頬杖ついて、うっそりしている。怠けものは、陸の動物にたとえれば、まず、歳《とし》とった病犬であろう。なりもふりもかまわず、四足をなげ出し、うす赤い腹をひくひく動かしながら、日向《ひなた》に一日じっとしている。ひとがその傍を通っても、吠えるどころか、薄目をあけて、うっとり見送り、また眼をつぶる。みっともないものである。きたならしい。海の動物にたとえれば、なまこであろうか。なまこは、たまらない。いやらしい。ひとで、であろうか。べっとり岩にへばりついて、ときどき、そろっと指を動かして、そうして、ひとでは何も考えていない。ああ、たまらない、たまらない。私は猛然と立ち上る。
 おどろくことは無い。御不浄へ行って来たのである。期待に添わざること、おびただしい。立ったまま、ちょっと思案し、それから、のそのそ隣りの部屋へはいっていって、
「おい、何か用がないかね?」
 隣室では、家の者が、縫いものをしている。
「はい、ございます。」顔もあげずに、そう答えて、「この鏝《こて》を焼いて置いて下さい。」
「あ、そうか。」
 鏝を受けとり、大きな男が、また机のまえに坐って、かたわらの火鉢の灰の中に、ぐいとその鏝をさし込むのである。
 さし込んで、何か大役をしすました者の如く、落ちつきはらって、煙草を吸っている。これでは、何も、かの、風呂敷持って、ねぎ買いに行く姿と、異るところがない。もっと悪い。
 つくづく呆《あき》れ、憎み、自分自身を殺したくさえなって、ええッ! と、やけくそになって書き出した、文字が、なんと、
 懶惰の歌留多。
 ぽつり、ぽつり、考え、考えしながら書いてゆく所存と見える。

 い[#「い」はゴシック体]、生くることにも心せき、感ずることも急がるる。

 ヴィナスは海の泡《あわ》から生れて、西風に導かれ、波のまにまに、サイプラスの島の浦曲《うらわ》に漂着した。四肢は気品よく細長く、しっとりと重くて、乳白色の皮膚のところどころ、すなわち耳朶《みみたぶ》、すなわち頬、すなわち掌の裡、一様に薄い薔薇色《ばらいろ》に染っていて、小さい顔は、かぐようほどに清浄であった。からだじゅうからレモンの匂いに似た高い香気が発していた。ヴィナスのこの美しさに魅せられた神々たちは

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