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トップ > 太宰Web文庫 > 懶惰の歌留多
懶惰の歌留多 (p3/12)
しゃくしゃ引き出しの中を掻《か》きまわして、おもむろに、一箇の耳かきを取り出し、大げさに顔をしかめ、耳の掃除をはじめる。その竹の耳かきの一端には、ふさふさした兎の白い毛が附いていて、男は、その毛で自分の耳の中をくすぐり、目を細める。耳の掃除が終る。なんということもない。それから、また、机の引き出しを、くしゃくしゃかきまわす。感冒|除《よ》けの黒いマスクを見つけた。そいつを、素早く、さっと顔にかけて、屹《き》っと眉毛を挙げ、眼をぎょろっと光らせて、左右を見まわす。なんということもない。マスクをはずして、引き出しに収め、ぴたと引き出しをしめる。また、頬杖。とうもろこしは、あれは下品な食べものだ。あれの、正式の食べかたは、どういうのかしら。一本のとうもろこしに、食いついている姿は、ハアモニカを懸命に吹き鳴らしているようである。などと、ばかなことを、ふと考える。どんなにひどいニヒルにでも、最後まで附きまとうものは、食べものであるらしい。しかもこの男は、味覚を知らない。味よりも、方法が問題であるらしい。めんどうくさい食べものには、見向きもしない。さんまなぞ、食べてみれば、あれは、おいしいものかも知れないが、この男は、それをきらう。とげがあるからである。いったいに魚肉をきらう様である。味覚の故ではなくして、とげを抜くのが面倒くさいのである。たいへん高価なものだそうであるが、鮎《あゆ》の塩焼など、一向に喜ばない。申しわけみたいに、ちょっと箸《はし》でつついてみたりなどして、それっきり、振りむきもしない。玉子焼を好む。とげがないからである。豆腐を好む。やはり、食べるのに、なんの手数もいらないからである。飲みものを好む。牛乳。スウプ。葛湯《くずゆ》。うまいも、まずいもない。ただ、摂取するのに面倒がないからである。そう言えば、この男は、どうやら、暑い、寒いを知らないようである。夏、どんなに暑くても、団扇《うちわ》の類《たぐい》を用いない。めんどうくさいからである。ひとから、きょうはずいぶんお暑うございますね、と言われて団扇をさし出され、ああそうか、きょうは暑いのか、とはじめて気が附き、大いにあわてて団扇を取りあげ、涼しげの顔してばさばさやってみるのであるが、すぐに厭《あ》きて来て手を休め、ぼんやり膝の上で、その団扇をいじくりまわしているような仕末である。寒さも、知らないのではなかろうか。誰かほかのひとでも火鉢に炭をついで呉れないことには、一日、火のない火鉢を抱いて、じっとしている。動くものではない。ひとから、注意されないうちは、晩秋、初冬、厳寒、平気な顔して夏の白いシャツを黙って着ている。
 私は、腕をのばし、机のわきの本棚から、或る日本の作家の、短篇集を取出し、口を、ヘの字型に結んだ。何か、顕微鏡的な研究でもはじめるように、ものものしく気取って、一頁、一頁、ゆっくりペエジを繰っていった。この作家は、いまは巨匠といわれている。変な文章ではあるが、読み易いので、私は、このような心のうつろな時には、取り出して読んでみるのである。好きなのであろう。もっともらしい顔して読んでいって、突然、げらげら笑い出した。この男の笑い声には、特色が在る。馬の笑いに似ている。私は、呆《あき》れたのである。その作家自身ともおぼしき主人公が、ふんべつ顔して風呂敷持って、湖畔の別荘から、まちへ夕食のおかずを買いに出かけるところが書かれていたのであるが、いかにもその主人公のさまが、いそいそしていて、私には情なく、笑ってしまった。いい年をして、立派

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