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横綱 (p2/2)
 二、三年前の、都新聞の正月版に、私は横綱|男女《みな》ノ川《がわ》に就《つ》いて書いたが、ことしは横綱双葉山に就いて少し書きましょう。
 私は、角力《すもう》に就いては何も知らぬのであるが、それでも、横綱というものには無関心でない。或る正直な人から聞いた話であるが、双葉山という男は、必要の無いことに対しては返辞をしないそうである。お元気ですか。お寒いですね。おいそがしいでしょう。すべて必要の無い言葉である。双葉山は返辞をしないそうである。
 何とか返辞をしろ、といきり立ち腕力に訴えようとしても、相手は、双葉山である。どうも、いけない。
 或るおでんやの床の間に「忍」という一字を大きく書いた掛軸があった。あまり上手でない字であった。いずれ、へんな名士の書であろうと思い、私は軽蔑して、ふと署名のところを見ると、双葉山である。
 私は酒杯を手にして長大息を発した。この一字に依《よ》って、双葉山の十年来の私生活さえわかるような気がしたのである。横綱の忍の教えは、可憐である。

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