• 日本語
  • English
  • 韓国語
  • 中文
トップ > 太宰Web文庫 > やんぬる哉
やんぬる哉 (p3/5)
りませんか。一本、栓《せん》を抜きましょう。」
 まるで、シャンパンでも抜くような騒ぎで、私の制止も聞かず階下に降りて行き、すぐその一本、栓を抜いたやつをお盆《ぼん》に載せて持って来た。
「細君がいないので、せっかくおいで下さっても、何のおもてなしも出来ず、ほんの有り合せのものですが、でも、これはちょっと珍らしいものでしてね、おわかりですか、ナマズの蒲焼《かばやき》です。細君の創意工夫の独特の味が付いています。ナマズだって、こうなると馬鹿に出来ませんよ。まあ、一口めし上ってごらんなさい。鰻《うなぎ》と少しも変りませんから。」
 お盆には、その蒲焼と、それから小さいお猪口《ちょこ》が載っていた。私はリンゴ酒はたいてい大きいコップで飲む事にしていて、こんな小さいお猪口で飲むのは、はじめての経験であったが、ビール瓶のリンゴ酒をいちいち小さいお猪口にお酌《しゃく》されて飲むのは、甚《はなは》だ具合いの悪い感じのものである。のみならず、いささかも酔わないものである。私はすすめられて、ここの奥さんの創意工夫に依《よ》るものだというナマズの蒲焼にも箸《はし》をつけた。
「いかがです。細君の発明ですよ。物資不足を補って余りあり、と僕はいつもほめてやっているのだが、じっさい、鰻とちっとも変りが無いのですからね。」
 私はそれを嚥下《えんか》して首肯《しゅこう》し、この医師は以前どんな鰻を食べたのだろうといぶかった。
「台所の科学ですよ。料理も一種の科学ですからね。こんな物資不足の折には、細君の発明力は、国家の運命を左右すると、いや冗談でなく、僕は信じているのです。そうそう、君の小説にもそんなのがあったね。僕はいまの人の小説はあまり読まない事にしているので、君の小説もたった一つしか拝見した事はないのだが、何でも、新型の飛行機を発明してそれに載って田圃に落ちたとかいう発明の苦心談、あれは面白かった。」
 私はやはり黙って首肯した。しかし、そんな小説を書いた覚えは、私にはさらに無かった。
「とにかく、日本もこれから、新しい発明をしなければ駄目ですよ。男も女も、力を合せて、新しい発明を心掛けるべき時だと思っています。じっさい、うちの細君などは、まあ僕の口から言うのはおかしいですけれど、その点は、感心なものです。何かと新しい創意工夫をするのです。おかげで僕なんかは、こんな時代でも衣食住に於いて何の不自由も感じないで暮して来ましたからね。物が足りない物が足りないと言って、闇の買いあさりに狂奔《きょうほん》している人たちは、要するに、工夫が足りないのです。研究心が無いのです。このお隣りの畳屋にも東京から疎開《そかい》して来ている家族がおりますけれども、そこの細君がこないだうちへやって来て、うちの細君と論戦しているのを私は陰で聞いて、いや、面白かったですよ。疎開人にはまた疎開人としての言いぶんがあるらしいんですね。その細君の言うには、田舎《いなか》のお百姓さんが純朴だとか何とか、とんでもない話だ、お百姓さんほど恐ろしいものは無い。純朴な田舎の人たちに都会の成金どもがやたらに札びらを切

<< 前のページ (p2/5) 次のページ (p4/5) >>
Myルートガイド