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トップ > 太宰Web文庫 > 富嶽百景
富嶽百景 (p6/14)
水を眺めながら、私は、話した。
「モウパスサンの小説に、どこかの令嬢が、貴公子のところへ毎晩、河を泳いで逢ひにいつたと書いて在つたが、着物は、どうしたのだらうね。まさか、裸ではなからう。」
「さうですね。」青年たちも、考へた。「海水着ぢやないでせうか。」
「頭の上に着物を載せて、むすびつけて、さうして泳いでいつたのかな?」
 青年たちは、笑つた。
「それとも、着物のままはひつて、ずぶ濡れの姿で貴公子と逢つて、ふたりでストオヴでかわかしたのかな? さうすると、かへるときには、どうするだらう。せつかく、かわかした着物を、またずぶ濡れにして、泳がなければいけない。心配だね。貴公子のはうで泳いで来ればいいのに。男なら、猿股一つで泳いでも、そんなにみつともなくないからね。貴公子、鉄鎚《かなづち》だつたのかな?」
「いや、令嬢のはうで、たくさん惚れてゐたからだと思ひます。」新田は、まじめだつた。
「さうかも知れないね。外国の物語の令嬢は、勇敢で、可愛いね。好きだとなつたら、河を泳いでまで逢ひに行くんだからな。日本では、さうはいかない。なんとかいふ芝居があるぢやないか。まんなかに川が流れて、両方の岸で男と姫君とが、愁嘆《しうたん》してゐる芝居が。あんなとき、何も姫君、愁嘆する必要がない。泳いでゆけば、どんなものだらう。芝居で見ると、とても狭い川なんだ。ぢやぶぢやぶ渡つていつたら、どんなもんだらう。あんな愁嘆なんて、意味ないね。同情しないよ。朝顔の大井川は、あれは大水で、それに朝顔は、めくらの身なんだし、あれには多少、同情するが、けれども、あれだつて、泳いで泳げないことはない。大井川の棒杭《ぼうぐひ》にしがみついて、天道《てんだう》さまを、うらんでゐたんぢや、意味ないよ。あ、ひとり在るよ。日本にも、勇敢なやつが、ひとり在つたぞ。あいつは、すごい。知つてるかい?」
「ありますか。」青年たちも、眼を輝かせた。
「清姫。安珍を追ひかけて、日高川を泳いだ。泳ぎまくつた。あいつは、すごい。ものの本によると、清姫は、あのとき十四だつたんだつてね。」
 路を歩きながら、ばかな話をして、まちはづれの田辺の知合ひらしい、ひつそり古い宿屋に着いた。
 そこで飲んで、その夜の富士がよかつた。夜の十時ごろ、青年たちは、私ひとりを宿に残して、おのおの家へ帰つていつた。私は、眠れず、どてら姿で、外へ出てみた。おそろしく、明るい月夜だつた。富士が、よかつた。月光を受けて、青く透きとほるやうで、私は、狐に化かされてゐるやうな気がした。富士が、したたるやうに青いのだ。燐が燃えてゐるやうな感じだつた。鬼火。狐火。ほたる。すすき。葛《くず》の葉。私は、足のないやうな気持で、夜道を、まつすぐに歩いた。下駄の音だけが、自分のものでないやうに、他の生きもののやうに、からんころんからんころん、とても澄んで響く。そつと、振りむくと、富士がある。青く燃えて空に浮んでゐる。私は溜息をつく。維新の志士。鞍馬天狗《くらまてんぐ》。私は、自分を、それだと思つた。ちよつと気取つて、ふところ手して歩いた。ずゐぶん自

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