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トップ > 太宰Web文庫 > 眉山
眉山 (p2/9)
 これは、れいの飲食店閉鎖の命令が、未《いま》だ発せられない前のお話である。
 新宿辺も、こんどの戦火で、ずいぶん焼けたけれども、それこそ、ごたぶんにもれず最も早く復興したのは、飲み食いをする家であった。帝都座の裏の若松屋という、バラックではないが急ごしらえの二階建の家も、その一つであった。
「若松屋も、眉山《びざん》がいなけりゃいいんだけど。」
「イグザクトリイ。あいつは、うるさい。フウルというものだ。」
 そう言いながらも僕たちは、三日に一度はその若松屋に行き、そこの二階の六畳で、ぶっ倒れるまで飲み、そうして遂《つい》に雑魚寝《ざこね》という事になる。僕たちはその家では、特別にわがままが利《き》いた。何もお金を持たずに行って、後払いという自由も出来た。その理由を簡単に言えば、三鷹《みたか》の僕の家のすぐ近くに、やはり若松屋というさかなやがあって、そこのおやじが昔から僕と飲み友達でもあり、また僕の家の者たちとも親しくしていて、そいつが、「行ってごらんなさい、私の姉が新宿に新しく店を出しました。以前は築地《つきじ》でやっていたのですがね。あなたの事は、まえから姉に言っていたのです。泊って来たってかまやしません。」
 僕はすぐに出かけ、酔っぱらって、そうして、泊った。姉というのはもう、初老のあっさりしたおかみさんだった。
 何せ、借りが利くので重宝《ちょうほう》だった。僕は客をもてなすのに、たいていそこへ案内した。僕のところへ来る客は、自分もまあこれでも、小説家の端くれなので、小説家が多くならなければならぬ筈なのに、画家や音楽家の来訪はあっても、小説家は少かった。いや、ほとんど無いと言っても過言ではない状態であった。けれども、新宿の若松屋のおかみさんは、僕の連れて行く客は、全部みな小説家であると独《ひと》り合点《がてん》している様子で、殊《こと》にも、その家の女中さんのトシちゃんは、幼少の頃より、小説というものがメシよりも好きだったのだそうで、僕がその家の二階に客を案内するともう、こちら、どなた? と好奇の眼をかがやかして僕に尋ねる。
「林芙美子さんだ。」
 それは僕より五つも年上の頭の禿《は》げた洋画家であった。
「あら、だって、……」
 小説というものがメシよりも好きと法螺《ほら》を吹いているトシちゃんは、ひどく狼狽《ろうばい》して、
「林先生って、男の方なの?」
「そうだ。高浜|虚子《きよこ》というおじいさんもいるし、川端|龍子《りゅうこ》という口髭《くちひげ》をはやした立派な紳士もいる。」
「みんな小説家?」
「まあ、そうだ。」
 それ以来、その洋画家は、新宿の若松屋に於《お》いては、林先生という事になった。本当は二科の橋田新一郎氏であった。

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