八十八夜 (p3/12) どんな悲惨の地獄に落ちても、私は後悔しないだろう。だめなのだ。もう、これ以上、私は自身を卑屈にできない。自由!そうして、笠井さんは、旅に出た。 なぜ、信州を選んだのか。他に、知らないからである。信州にひとり、湯河原にひとり、笠井さんの知っている女が、いた。知っている、と言っても、寝たのではない。名前を知っているだけなのである。いずれも宿舎の女中さんである。そうして信州のひとも、伊豆のひとも、つつましく気がきいて、口下手《くちべた》の笠井さんには、何かと有難いことが多かった。湯河原には、もう三年も行かない。いまでは、あのひとも、あの宿屋にいないかも知れない。あのひとが、いなかったら、なんにもならない。信州、上諏訪の温泉には、去年の秋も、下手《へた》くその仕事をまとめるために、行って、五、六日お世話になった。きっと、まだ、あの宿で働いているにちがいない。 めちゃなことをしたい。思い切って、めちゃなことを、やってみたい。私にだって、まだまだロマンチシズムは、残って在る筈《はず》だ。笠井さんは、ことし三十五歳である。けれども髪の毛も薄く、歯も欠けて、どうしても四十歳以上のひとのように見える。妻と子のために、また多少は、俗世間への見栄《みえ》のために、何もわからぬながら、ただ懸命に書いて、お金をもらって、いつとは無しに老けてしまった。笠井さんは、行い正しい紳士である、と作家仲間が、決定していた。事実、笠井さんは、良い夫、良い父である。生来の臆病と、過度の責任感の強さとが、笠井さんに、いわば良人《おっと》の貞操をも固く守らせていた。口下手ではあり、行動は極めて鈍重だし、そこは笠井さんも、あきらめていた。けれども、いま、おのれの芋虫に、うんじ果て、爆発して旅に出て、なかなか、めちゃな決意をしていた。何か光を。 下諏訪まで、切符を買った。家を出て、まっすぐに上諏訪へ行き、わきめも振らずあの宿へ駈け込み、そうして、いきせき切って、あのひと、いますか、あのひと、いますか、と騒ぎたてる、そんな形になるのが、いやなので、わざと上諏訪から一つさきの下諏訪まで、切符を買った。笠井さんは、下諏訪には、まだいちども行ったことがない。けれども、そこで降りてみて、いいようだったら、そこで一泊して、それから多少、迂余曲折《うよきょくせつ》して、上諏訪のあの宿へ行こう、という、きざな、あさはかな気取りである。含羞《がんしゅう》でもあった。 汽車に乗る。野も、畑も、緑の色が、うれきったバナナのような酸い匂いさえ感ぜられ、いちめんに春が爛熟《らんじゅく》していて、きたならしく、青みどろ、どろどろ溶けて氾濫《はんらん》していた。いったいに、この季節には、べとべと、噎《む》せるほどの体臭がある。 汽車の中の笠井さんは、へんに悲しかった。われに救いあれ。みじんも冗談でなく、そんな大袈裟《おおげさ》な言葉を仰向いてこっそり呟《つぶや》いた程である。懐中には、五十円と少し在った。 「アンドレア・デル・サルトの、……」
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