• 日本語
  • English
  • 韓国語
  • 中文
庭 (p4/5)
権力をまんざらきらいでもないらしく、いつも太閤の身辺にいて、そうして、一本まいらせたり、まいったり、両方必死に闘っている図は、どうも私には不透明なもののように感ぜられる。太閤が、そんなに魅力のある人物だったら、いっそ利休が、太閤と生死を共にするくらいの初心《うぶ》な愛情の表現でも見せてくれたらよさそうなものだとも思われる。
「人を感激させてくれるような美しい場面がありませんね。」私はまだ若いせいか、そんな場面の無い小説を書くのは、どうも、おっくうなのである。
 兄は笑った。相変らずあまい、とでも思ったようである。
「それは無い。お前には、書けそうも無いな。おとなの世界を、もっと研究しなさい。なにせ、不勉強な先生だから。」
 兄は、あきらめたように立ち上り、庭を眺める。私も立って庭を眺める。
「綺麗になりましたね。」
「ああ。」
 私は利休は、ごめんだ。兄の居候になっていながら、兄を一本まいらせようなんて事はしたくない。張り合うなんて、恥ずべき事だ。居候でなくったって、私はいままで兄と競争しようと思った事はいちども無い。勝負はもう、生れた時から、ついているのだ。
 兄は、このごろ、ひどく痩せた。病気なのである。それでも、代議士に出るとか、民選の知事になるとかの噂《うわさ》がもっぱらである。家の者たちは、兄のからだを心配している。
 いろいろの客が来る。兄はいちいちその人たちを二階の応接間にあげて話して、疲れたとは言わない。きのうは、新内《しんない》の女師匠が来た。富士太夫の第一の門弟だという。二階の金襖《きんぶすま》の部屋で、その師匠が兄に新内を語って聞かせた。私もお附合いに、聞かせてもらう事になった。明烏《あけがらす》と累《かさね》身売りの段を語った。私は聞いていて、膝《ひざ》がしびれてかなりの苦痛を味い、かぜをひいたような気持になったが、病身の兄は、一向に平気で、さらに所望し、後正夢《のちのまさゆめ》と蘭蝶を語ってもらい、それがすんでから、皆は応接間のほうに席を移し、その時に兄は、
「こんな時代ですから、田舎《いなか》に疎開なさって畑を作らなければならぬというのも、お気の毒な身の上ですが、しかし、芸事というものは、心掛けさえしっかりして居れば、一年や二年、さみせんと離れていても、決して芸が下るものではありません。あなたも、これからです。これからだと思います。」
 と、東京でも有名なその女師匠に、全くの素人《しろうと》でいながら、悪びれもせず堂々と言ってのけている。
「大きい!」と大向うから声がかかりそうな有様であった。
 兄がいま尊敬している文人は、日本では荷風《かふう》と潤一郎らしい。それから、支那《しな》のエッセイストたちの作品を愛読している。あすは、呉清源《ごせいげん》が、この家へ兄を訪ねてやって来るという。碁《ご》の話ではなく、いろいろ世相の事など、ゆっくり語り合う事になるらしい。

<< 前のページ (p3/5) 次のページ (p5/5) >>
Myルートガイド