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庭 (p2/5)
 東京の家は爆弾でこわされ、甲府《こうふ》市の妻の実家に移転したが、この家が、こんどは焼夷弾《しょういだん》でまるやけになったので、私と妻と五歳の女児と二歳の男児と四人が、津軽《つがる》の私の生れた家に行かざるを得なくなった。津軽の生家では父も母も既になくなり、私より十以上も年上の長兄が家を守っている。そんなに、二度も罹災《りさい》する前に、もっと早く故郷へ行っておればよかったのにと仰言《おっしゃ》るお方もあるかも知れないが、私は、どうも、二十代に於いて肉親たちのつらよごしの行為をさまざまして来たので、いまさら図々《ずうずう》しく長兄の厄介《やっかい》になりに行けない状態であったのである。しかし、二度も罹災して二人の幼児をかかえ、もうどこにも行くところが無くなったので、まあ、当ってくだけろという気持で、ヨロシクタノムという電報を発し、七月の末に甲府を立った。そうして途中かなりの難儀《なんぎ》をして、たっぷり四昼夜かかって、やっと津軽の生家に着いた。生家では皆、笑顔を以《もっ》て迎えてくれた。私のお膳《ぜん》には、お酒もついた。
 しかし、この本州の北端の町にも、艦載機《かんさいき》が飛んで来て、さかんに爆弾を落して行く。私は生家に着いた翌《あく》る日から、野原に避難小屋を作る手伝いなどした。
 そうして、ほどなくあの、ラジオの御放送である。
 長兄はその翌る日から、庭の草むしりをはじめた。私も手伝った。
「わかい頃には、」と兄は草をむしりながら、「庭に草のぼうぼうと生《は》えているのも趣《おもむ》きがあるとも思ったものだが、としをとって来ると、一本の草でも気になっていけない。」
 それでは私なども、まだこれでも、若いのであろうか。草ぼうぼうの廃園は、きらいでない。
「しかし、これくらいの庭でも、」と兄は、ひとりごとのように低く言いつづける。「いつも綺麗《きれい》にして置こうと思えば、庭師を一日もかかさず入れていなければならない。それにまた、庭木の雪がこいが、たいへんだ。」
「やっかいなものですね。」と居候《いそうろう》の弟は、おっかなびっくり合槌《あいづち》を打つ。
 兄は真面目《まじめ》に、
「昔は出来たのだが、いまは人手も無いし、何せ爆弾騒ぎで、庭師どころじゃなかった。この庭もこれで、出鱈目《でたらめ》の庭ではないのだ。」
「そうでしょうね。」弟には、庭の趣味があまりない。何せ草ぼうぼうの廃園なんかを、美しいと思って眺《なが》める野蛮人だ。
 兄はそれからこの庭の何流に属しているのか、その流儀はどこから起って、そうしてどこに伝って、それからどうして津軽の国にはいって来たかを説明して聞かせて、自然に話は利休《りきゅう》の事に移って行った。
「どうして、お前たちは、利休の事を書かないのだろう。いい小説が出来ると思うのだが。

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