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トップ > 太宰Web文庫 > 如是我聞
如是我聞 (p5/20)
ままでは、私たちには、自殺以外にないように実感として言えるように思う。
 これだけ言っても、やはり「若い者」の誇張、或いは気焔《きえん》としか感ぜられない「老大家」だったなら、私は、自分でこれまで一ばんいやなことをしなければならぬ。脅迫ではないのだ。私たちの苦しさが、そこまで来ているのだ。
 今月は、それこそ一般概論の、しかもただぷんぷん怒った八ツ当りみたいな文章になったけれども、これは、まず自分の心意気を示し、この次からの馬鹿学者、馬鹿文豪に、いちいち妙なことを申上げるその前奏曲と思っていただく。
 私の小説の読者に言う、私のこんな軽挙をとがめるな。

       二

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 彼らは言ふのみにて行はぬなり。また重き荷を括《くく》りて人の肩にのせ、己は指にて之《これ》を動かさんともせず。凡《すべ》てその所作《しわざ》は人に見られん為にするなり、即ちその経札《きやうふだ》を幅ひろくし、衣《ころも》の総《ふさ》を大きくし、饗宴《ふるまひ》の上席、会堂の上座、市場にての敬礼、また人にラビと呼ばるることを好む。されど汝《なんぢ》らはラビの称《となへ》を受くな。また、導師の称を受くな。
 禍害《わざはひ》なるかな、偽善なる学者、なんぢらは人の前に天国を閉して、自ら入らず、入らんとする人の入るをも許さぬなり。盲目《めしひ》なる手引よ、汝らは蚋《ぶよ》を漉《こ》し出して駱駝《らくだ》を呑むなり。禍害なるかな、偽善なる学者、外は人に正しく見ゆれども、内は偽善と不法とにて満つるなり。禍害なるかな、偽善なる学者、汝らは預言者の墓をたて、義人の碑を飾りて言ふ、「我らもし先祖の時にありしならば、預言者の血を流すことに与《くみ》せざりしものを」と。かく汝らは預言者を殺しし者の子たるを自ら証《あかし》す。なんぢら己が先祖の桝目《ますめ》を充《みた》せ。蛇よ、蝮《まむし》の裔《すゑ》よ、なんぢら争《いか》でゲヘナの刑罰を避け得んや。
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 L君、わるいけれども、今月は、君にむかってものを言うようになりそうだ。君は、いま、学者なんだってね。ずいぶん勉強したんだろう。大学時代は、あまり「でき」なかったようだが、やはり、「努力」が、ものを言ったんだろうね。ところで、私は、こないだ君のエッセイみたいなものを、偶然の機会に拝見し、その勿体《もったい》ぶりに、甚《はなは》だおどろくと共に、君は外国文学者(この言葉も頗る奇妙なもので、外国人のライターかとも聞えるね)のくせに、バイブルというものを、まるでいい加減に読んでいるらしいのに、本当に、ひやりとした。古来、紅毛人の文学者で、バイブルに苦しめられなかったひとは、一人でもあったろうか。バイブルを主軸として回転している数万の星ではなかったのか。
 しかし、それは私の所謂あまい感じ方で、君たちは、それに気づいていながらも、君たちの自己破産をおそれて、それに目をつぶっているのかも知れない。学者の本質。それは、私にも幽《かす》かにわかるところもあるような気がする。君たちの、所謂「神」は、「美貌」である。真白な手袋である。

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