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トップ > 太宰Web文庫 > 二十世紀旗手
二十世紀旗手 (p5/12)
ぶんわびしく、客間では毎夜、祖母をかしらに、母、それから親戚のもの二、三ちらほら、夏と冬には休暇の兄や姉、ときどき私の陰口たたいて、私が客間のまえの廊下とおったときに、「いまから、あんなにできるのは、中学、大学へはいってから急に成績落ちるものゆえ、あまり褒《ほ》めないほうがよろしい。」など、すぐ上の兄のふんべつ臭き言葉、ちらと小耳にはさんで、おのれ! 親兄弟みんなたばになって、七ツのおれをいじめている、とひがんで了って、その頃から、家族の客間の会議をきらって、もっぱら台所の石の炉縁に親しみ、冬は、馬鈴薯《ばれいしょ》を炉の灰に埋めて焼いて、四、五の作男と一緒にたべた。一日わが孤立の姿、黙視し兼ねてか、ひとりの老婢《ろうひ》、わが肩に手を置き、へんな文句を教えて呉れた。曰く、見どころがあって、稽古《けいこ》がきびしすぎ。
 不眠症は、そのころから、芽ばえていたように覚えています。私のすぐ上の姉は、私と仲がよかった。私、小学四、五年のころ、姉は女学校、夏と冬と、年に二回の休暇にて帰省のとき、姉の友人、萱野《かやの》さんという眼鏡かけて小柄、中肉の女学生が、よく姉につれられて、遊びに来ました。色白くふっくりふくれた丸ぽちゃの顔、おとがい二重、まつげ長くて、眠っているときの他には、いつもくるくるお道化ものらしく微笑んでいる真黒い目、眼鏡とってぱしぱし瞬《またた》きながら嗅ぐようにして雑誌を読んでいる顔、熊の子のように無心に見えて、愛くるしく思いました。私より三つも年上だったのに。
 もっとさきから、お目にかからぬさきから、私は、あなたのお名前知っていた。姉からの手紙には、こんなことが書かれていました。「梅組の組長さん、萱野アキさん、おまえがこうしてグミや、ほしもち、季節季節わすれず送ってよこすのを、ほめていました。やさしい弟さんを持って、仕合せね、とうらやんでいます。おまえの手紙の中の津軽なまり、仮名ちがいなかったなら、姉は、もっともっとたくさんのお友達に威張れるのに、ねえ、――」
 あなたはあの頃、画家になるのだと言って、たいへん精巧のカメラを持っていて、ふるさとの夏の野道を歩きながら、パチリパチリだまって写真とる対象物、それが不思議に、私の見つけた景色と同一、そっくりそのまま、北国の夏は、南国の初秋、まっかに震えて杉の根株にまつわりついている一列の蔦《つた》の葉に、私がちらと流し眼くれた、とたんに、パチリとあなたのカメラのまばたきの音。私は、そのたびごとに小さい溜息《ためいき》《つ》かなければならなかった。けれども一日、うらめしい思いに泣かされたことございました。そのころも、いまも、私やっぱり一村童、大正十年、カメラ珍らしく、カメラ納めた黒鞁《くろかわ》の胴乱《どうらん》、もじもじ恥じらいつつも、ぼくに持たせて、とたのんで肩にかつがせてもらって、青い浴衣に赤い絞り染めの兵古帯《へこおび》すがたのあなたのお供、その日、樹蔭でそっとネガのプレートあけて見て、そこには、ただ一色の乳白、首ふって不満顔、知らぬふりしてもとの鞘《さや》におさめていたのに、その夜の現像室は、阿鼻叫喚《あびきょうかん》、種板みごとに黒一色、無智の犯人たちまちばれて、その日より以後、あなたは私に、胴乱もたせては呉れなかった。わが既往《きおう》の失敗とがめず、もいちど信じてだまって持たせて呉れたなら、私いのち投げてもプレート守ったにちがいない。また、あの頃に、かくれんぼ、あなたは鬼、みんな隠れてしまうのを待つ間ひとり西

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