• 日本語
  • English
  • 韓国語
  • 中文
トップ > 太宰Web文庫 > 二十世紀旗手
二十世紀旗手 (p2/12)
     序唱 神の焔《ほのお》の苛烈《かれつ》を知れ

 苦悩たかきが故に尊からず。これでもか、これでもか、生垣へだてたる立葵《たちあおい》の二株、おたがい、高い、高い、ときそって伸びて、伸びて、ひょろひょろ、いじけた花の二、三輪、あかき色の華美を誇りし昔わすれ顔、黒くしなびた花弁の皺《しわ》もかなしく、「九天たかき神の園生《そのう》、われは草鞋《わらじ》のままにてあがりこみ、たしかに神域犯したてまつりて、けれども恐れず、この手でただいま、御園の花を手折《たお》って来ました。そればかりでは、ない。神の昼寝の美事な寝顔までも、これ、この眼で、たしかに覗《のぞ》き見してまいりましたぞ。」などと、旗取り競争第一着、駿足の少年にも似たる有頂天の姿には、いまだ愛くるしさも残りて在り、見物人も微笑、もしくは苦笑もて、ゆるしていたが、一夜、この子は、相手もあろに氷よりも冷い冷い三日月さまに惚《ほ》れられて、あやしく狂い、「神も私も五十歩百歩、大差ござらぬ。あの日、三伏《さんぷく》の炎熱、神もまたオリンピック模様の浴衣《ゆかた》いちまい、腕まくりのお姿でござった。」聞くもの大笑せぬはなく、意外、望外の拍手、大喝采。ああ、かの壇上の青黒き皮膚、痩狗《そうく》そのままに、くちばし突出、身の丈ひょろひょろと六尺にちかき、かたち老いたる童子、実は、れいの高い高いの立葵の精は、この満場の拍手、叫喚の怒濤《どとう》を、目に見、耳に聞き、この奇現象、すべて彼が道化役者そのままの、おかしの風貌ゆえとも気づかず、ぶくぶくの鼻うごめかして、いまは、まさしく狂喜、眼のいろ、いよいよ奇怪に燃え立ちて、「今宵|七夕《たなばた》まつりに敢えて宣言、私こそ神である。九天たかく存《おわ》します神は、来る日も来る日も昼寝のみ、まったくの怠慢。私いちど、しのび足、かれの寝所に滑り込んで神の冠、そっとこの大頭《おおあたま》へ載せてみたことさえございます。神罰なんぞ恐れんや。はっはっは。いっそ、その罰、拝見したいものではある!」予期の喝采、起らなかった。しんとなった。つづいてざわざわの潮ざい、「身のほど知らぬふざけた奴。」「神さま、これこそ夢であるように。きゃっ! この劇場には鼠がいますね。」「賤民の増長|傲慢《ごうまん》、これで充分との節度を知らぬ、いやしき性よ、ああ、あの貌《かお》、ふためと見られぬ雨蛙。」一瞬、はっし! なかば喪心の童子の鼻柱めがけて、石、投ぜられて、そのとき、そもそも、かれの不幸のはじめ、おのれの花の高さ誇らむプライドのみにて仕事するから、このような、痛い目に逢うのだ。芸術は、旗取り競争じゃないよ。それ、それ。汚い。鼻血。見るがいい、君の一点の非なき短篇集「晩年」とやらの、冷酷、見るがいい。傑作のお手本、あかはだか苦しく、どうか蒲《がま》の穂敷きつめた暖き寝所つくって下さいね、と眠られぬ夜、蚊帳《かや》のそとに立って君へお願いして、寒いのであろう、二つ三つ大きいくしゃみ残して消え去った、とか、いうじゃないか。わが生涯の情熱すべてこの一巻に収め得たぞ、と、ほっと溜息もらすまも無し、罰だ、罰だ、神の罰か、市民の罰か、困難不運、愛憎転変、かの黄金の冠を誰知るまいとこっそりかぶって鏡にむかい、にっとひとりで笑っただけの罪、けれども神はゆるさなかった。君、神様は、天然の木枯《こがら》しと同じくらいに、いやなものだよ。峻厳《しゅんげん》、執拗《しつよう》、わが首すじおさえては、ごぼごぼ沈めて水底這わせ、人の子まさに溺

<< 表紙へ戻る 次のページ (p3/12) >>
Myルートガイド