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道化の華 (p3/31)
浪打際で發見された。短く刈りあげた髮がつやつや光つて、顏は白くむくんでゐた。
 葉藏は園の死んだのを知つてゐた。漁船でゆらゆら運ばれてゐたとき、すでに知つたのである。星空のしたでわれにかへり、女は死にましたか、とまづ尋ねた。漁夫のひとりは、死なねえ、死なねえ、心配しねえがええずら、と答へた。なにやら慈悲ぶかい口調であつた。死んだのだな、とうつつに考へて、また意識を失つた。ふたたび眼ざめたときには、療養院のなかにゐた。狹くるしい白い板壁の部屋に、ひとがいつぱいつまつてゐた。そのなかの誰かが葉藏の身元をあれこれと尋ねた。葉藏は、いちいちはつきり答へた。夜が明けてから、葉藏は別のもつとひろい病室に移された。變を知らされた葉藏の國元で、彼の處置につき、取りあへず青松園へ長距離電話を寄こしたからである。葉藏のふるさとは、ここから二百里もはなれてゐた。
 東第一病棟の三人の患者は、この新患者が自分たちのすぐ近くに寢てゐるといふことに不思議な滿足を覺え、けふからの病院生活を樂しみにしつつ、空も海もまつたく明るくなつた頃やうやく眠つた。
 葉藏は眠らなかつた。ときどき頭をゆるくうごかしてゐた。顏のところどころに白いガアゼが貼りつけられてゐた。浪にもまれ、あちこちの岩でからだを傷つけたのである。眞野といふ二十くらゐの看護婦がひとり附き添つてゐた。左の眼蓋のうへに、やや深い傷痕があるので、片方の眼にくらべ、左の眼がすこし大きかつた。しかし、醜くなかつた。赤い上唇がこころもち上へめくれあがり、淺黒い頬をしてゐた。べツドの傍の椅子に坐り、曇天のしたの海を眺めてゐるのである。葉藏の顏を見ぬやうに努めた。氣の毒で見れなかつた。
 正午ちかく、警察のひとが二人、葉藏を見舞つた。眞野は席をはづした。
 ふたりとも、脊廣を着た紳士であつた。ひとりは短い口鬚を生やし、ひとりは鐵縁の眼鏡を掛けてゐた。鬚は、聲をひくくして園とのいきさつを尋ねた。葉藏は、ありのままを答へた。鬚は、小さい手帖へそれを書きとるのであつた。ひととほりの訊問をすませてから、鬚は、ベツドへのしかかるやうにして言つた。「女は死んだよ。君には死ぬ氣があつたのかね。」
 葉藏は、だまつてゐた。
 鐵縁の眼鏡を掛けた刑事は、肉の厚い額に皺を二三本もりあがらせて微笑みつつ、鬚の肩を叩いた。「よせ、よせ。可愛さうだ。またにしよう。」
 鬚は、葉藏の眼つきを、まつすぐに見つめたまま、しぶしぶ手帖を上衣のポケツトにしまひ込んだ。
 その刑事たちが立ち去つてから、眞野は、いそいで葉藏の室へ歸つて來た。けれども、ドアをあけたとたんに、嗚咽してゐる葉藏を見てしまつた。そのままそつとドアをしめて、廊下にしばらく立ちつくした。
 午後になつて雨が降りだした。葉藏は、ひとりで厠へ立つて歩けるほど元氣を恢復してゐた。
 友人の飛騨が、濡れた外套を着たままで、病室へをどり込んで來た。葉藏は眠つたふりを

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