東京八景 (苦難の或人に贈る) (p3/17) 昇らなければならぬ。東京市の大地図を一枚買って、東京駅から、米原《まいばら》行の汽車に乗った。遊びに行くのでは、ないんだぞ。一生涯の、重大な記念碑を、骨折って造りに行くのだぞ、と繰返し繰返し、自分に教えた。熱海で、伊東行の汽車に乗りかえ、伊東から下田行のバスに乗り、伊豆半島の東海岸に沿うて三時間、バスにゆられて南下し、その戸数三十の見る影も無い山村に降り立った。ここなら、一泊三円を越えることは無かろうと思った。憂鬱堪えがたいばかりの粗末な、小さい宿屋が四軒だけ並んでいる。私は、Fという宿屋を選んだ。四軒の中では、まだしも、少しましなところが、あるように思われたからである。意地の悪そうな、下品な女中に案内されて二階に上り、部屋に通されて見ると、私は、いい年をして、泣きそうな気がした。三年まえに、私が借りていた荻窪《おぎくぼ》の下宿屋の一室を思い出した。その下宿屋は、荻窪でも、最下等の代物《しろもの》であったのである。けれども、この蒲団部屋の隣りの六畳間は、その下宿の部屋よりも、もっと安っぽく、侘《わび》しいのである。 「他に部屋が無いのですか」 「ええ。みんな、ふさがって居ります。ここは涼しいですよ」 「そうですか」 私は、馬鹿にされていたようである。服装が悪かったせいかも知れない。 「お泊りは、三円五十銭と四円です。御中食は、また、別にいただきます。どういたしましょうか」 「三円五十銭のほうにして下さい。中食は、たべたい時に、そう言います。十日ばかり、ここで勉強したいと思って来たのですが」 「ちょっと、お待ち下さい」女中は、階下へ行って、しばらくして、また部屋にやって来て、「あの、永い御滞在でしたら、前に、いただいて置く事になって居りますけれど」 「そうですか。いくら差し上げたら、いいのでしょう」 「さあ、いくらでも」と口ごもっている。 「五十円あげましょうか」 「はあ」 私は机の上に、紙幣を並べた。たまらなくなって来た。 「みんな、あげましょう。九十円あります。煙草銭だけは、僕は、こちらの財布に残してあります」 なぜ、こんなところに来たのだろうと思った。 「相すみません。おあずかり致します」 女中は、去った。怒ってはならない。大事な仕事がある。いまの私の身分には、これ位の待遇が、相応しているのかも知れない、と無理矢理、自分に思い込ませて、トランクの底からペン、インク、原稿用紙などを取り出した。 十年ぶりの余裕は、このような結果であった。けれども、この悲しさも、私の宿命の中に
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