鉄面皮 (p3/10) い感じがない。この頑丈の鉄仮面をかぶり、ふくみ声で所謂《いわゆる》創作の苦心談をはじめたならば、案外荘重な響きも出て来て、そんなに嘲笑されずにすむかも知れぬ、などと小心|翼々《よくよく》、臆病無類の愚作者は、ひとり淋《さび》しくうなずいた。昭和十一年十月十三日から同年十一月十二日まで、一箇月間、私は暗い病室で毎日泣いて暮していた。その一箇月間の日記を、私は小説として或る文芸雑誌に発表した。わがままな形式の作品だったので、編輯者《へんしゅうしゃ》に非常な迷惑をおかけした様子である。HUMAN LOSTという作品だ。すべて、いまは不吉な敵国の言葉になったが、パラダイス・ロストをもじって、まあ「人間失格」とでもいうような気持でそんな題をつけたのであって、その日記形式の小説の十一月一日のところに左のような文章がある。 [#ここから2字下げ] 実朝をわすれず。 伊豆の海の白く立ち立つ浪がしら。 塩の花ちる。 うごくすすき。 蜜柑《みかん》畑。 [#ここで字下げ終わり] くるしい時には、かならず実朝を思い出す様子であった。いのちあらば、あの実朝を書いてみたいと思っていた。私は生きのびて、ことし三十五になった。そろそろいい時分だ、なんて書くと甚《はなは》だ気障《きざ》な空漠たる美辞麗句みたいになってつまらないが、実朝を書きたいというのは、たしかに私の少年の頃からの念願であったようで、その日頃の願いが、いまどうやら叶《かな》いそうになって来たのだから、私もなかなか仕合せな男だ。天神様や観音様にお礼を申し上げたいところだが、あのお光《みつ》の場合は、ぬかよろこびであったのだし、あんな事もあるのだから、やっと百五十一枚を書き上げたくらいで、気もいそいその馬鹿騒ぎは慎しまなければならぬ。大事なのは、これからだ。この短篇小説を書き上げると、またすぐ重い鞄《かばん》をさげて旅行に出て、あの仕事をつづけるのだ。なんて、やっぱり、小学生が遠足に出かける時みたいな、はしゃいだ調子の文章になってしまったが、仕事が楽しいという時期は一生に、そう度々《たびたび》あるわけでもないらしいから、こんな浮わついた文章も、記念として、消さずにそのまま残して置こう。 右大臣実朝。 [#ここから5字下げ] 承元《じょうげん》二年|戊辰《つちのえたつ》。二月小。三日、癸卯《みずのとう》、晴、鶴岳宮《つるがおかぐう》の御神楽《みかぐら》例の如し、将軍家御|疱瘡《ほうそう》に依《よ》りて御出《ぎょしゅつ》無し、前大膳大夫《さきのだいぜんのだいぶ》広元朝臣《ひろもとあそん》御使として神拝す、又|御台所《みだいどころ》御参宮。十日、庚戌《かのえいぬ》、将軍家御疱瘡、頗《すこぶ》る心神を悩ましめ給ふ、之《これ》に依つて近国の御家人等《ごけにんら》群参《ぐんさん》す。廿九日、己巳《つちのとみ》、雨降る、
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