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トップ > 太宰Web文庫 > 親友交歓
親友交歓 (p3/14)
いであった。私はそこに、人間の新しいタイプをさえ予感した。善い悪いという道徳的な審判を私はそれに対して試みようとしているのでなく、そのような新しいタイプの予感を、読者に提供し得たならば、それで私は満足なのである)
 彼は私と小学校時代の同級生であったところの平田だという。
「忘れたか」と言って、白い歯を出して笑っている。その顔には、幽《かす》かに見覚えがあった。
「知っている。あがらないか」私はその日、彼に対してたしかに軽薄な社交家であった。
 彼は、藁草履《わらぞうり》を脱いで、常居にあがった。
「久しぶりだなあ」と彼は大声で言う。「何年振りだ? いや、何十年振りだ? おい、二十何年振りだよ。お前がこっちに来ているという事は、前から聞いていたが、なかなか俺も畑仕事がいそがしくてな、遊びに来れないでいたのだよ。お前もなかなかの酒飲みになったそうじゃないか。うわっはっはっは」
 私は苦笑し、お茶を注いで出した。
「お前は俺と喧嘩した事を忘れたか? しょっちゅう喧嘩をしたものだ」
「そうだったかな」
「そうだったかなじゃない。これ見ろ、この手の甲に傷がある。これはお前にひっかかれた傷だ」
 私はその差し伸べられた手の甲を熟視したが、それらしい傷跡はどこにも無かった。
「お前の左の向う脛《ずね》にも、たしかに傷がある筈だ。あるだろう? たしかにある筈だよ。それは俺がお前に石をぶっつけた時の傷だ。いや、よくお前とは喧嘩をしたものだ」
 しかし、私の左の向う脛にも、また、右の向う脛にも、そんな傷は一つも無いのである。私はただあいまいに微笑して、かれの話を傾聴していた。
「ところで、お前に一つ相談があるんだがな。クラス会だ。どうだ、いやか。大いに飲もうじゃないか。出席者が十人として、酒を二斗、これは俺が集める」
「それは悪くないけど、二斗はすこし多くないか」
「いや、多くない。ひとりに二升無くては面白くない」
「しかし、二斗なんてお酒が集まるか?」
「集まらない、かも知れん。わからないが、やってみる。心配するな。しかし、いくら田舎だってこの頃は酒も安くはないんだから、お前にそこは頼む」
 私は心得顔で立ち上り、奥の部屋へ行って大きい紙幣を五枚持って来て、
「それじゃ、さきにこれだけあずかって置いてくれ。あとはまた、あとで」
「待ってくれ」とその紙幣を私に押し戻し、「それは違う。きょうは俺は金をもらいに来たのではない。ただ相談に来たのだ。お前の意見を聞きに来たのだ。どうせそれあ、お前からは、千円くらいは出してもらわないといけない事になるだろうが、しかし、きょうは相談かたがた、昔の親友の顔を見たくて来たのだ。まあ、いいから、俺にまかせて、そんな金なんか、ひっこめてくれ」

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