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トップ > 太宰Web文庫 > 新釈諸国噺
新釈諸国噺 (p2/85)
     凡例

一、わたくしのさいかく、とでも振仮名を附《つ》けたい気持で、新釈|諸国噺《しょこくばなし》という題にしたのであるが、これは西鶴《さいかく》の現代訳というようなものでは決してない。古典の現代訳なんて、およそ、意味の無いものである。作家の為《な》すべき業《わざ》ではない。三年ほど前に、私は聊斎志異《りょうさいしい》の中の一つの物語を骨子《こっし》として、大いに私の勝手な空想を按配《あんばい》し、「清貧譚《せいひんたん》」という短篇《たんぺん》小説に仕上げて、この「新潮」の新年号に載せさせてもらった事があるけれども、だいたいあのような流儀で、いささか読者に珍味異香を進上しようと努めてみるつもりなのである。西鶴は、世界で一ばん偉い作家である。メリメ、モオパッサンの諸秀才も遠く及ばぬ。私のこのような仕事に依《よ》って、西鶴のその偉さが、さらに深く皆に信用されるようになったら、私のまずしい仕事も無意義ではないと思われる。私は西鶴の全著作の中から、私の気にいりの小品を二十篇ほど選んで、それにまつわる私の空想を自由に書き綴《つづ》り、「新釈諸国噺」という題で一本にまとめて上梓《じょうし》しようと計画しているのだが、まず手はじめに、武家義理物語の中の「我が物ゆゑに裸川」の題材を拝借して、私の小説を書き綴ってみたい。原文は、四百字詰の原稿用紙で二、三枚くらいの小品であるが、私が書くとその十倍の二、三十枚になるのである。私はこの武家義理、それから、永代蔵《えいたいぐら》、諸国噺、胸算用《むねさんよう》などが好きである。所謂《いわゆる》、好色物は、好きでない。そんなにいいものだとも思えない。着想が陳腐《ちんぷ》だとさえ思われる。

一、右の文章は、ことしの「新潮」正月号に「裸川」を発表した時、はしがきとして用いたものである。その後、私は少しずつこの仕事をすすめて、はじめは二十篇くらいの予定であったが、十二篇書いたら、へたばった。読みかえしてみると、実に不満で、顔から火の発する思いであるが、でも、この辺が私の現在の能力の限度かも知れぬ。短篇十二は、長篇一つよりも、はるかに骨が折れる。

一、目次をごらんになれば、だいたいわかるようにして置いたが、題材を西鶴の全著作からかなりひろく求めた。変化の多い方が更に面白《おもしろ》いだろうと思ったからである。物語の舞台も蝦夷《えぞ》、奥州《おうしゅう》、関東、関西、中国、四国、九州と諸地方にわたるよう工夫した。

一、けれども私は所詮《しょせん》、東北生れの作家である。西鶴ではなくて、東鶴|北亀《ほっき》のおもむきのあるのは、まぬかれない。しかもこの東鶴あるいは北亀は、西鶴にくらべて甚《はなは》だ青臭い。年齢というものは、どうにも仕様の無いものらしい。

一、この仕事も、書きはじめてからもう、ほとんど一箇年になる。その期間、日本に於《お》いては、実にいろいろな事があった。私の一身上に於いても、いついかなる事が起るか予測出来ない。この際、読者に日本の作家精神の伝統とでもいうべきものを、はっきり知っていただく事は、かなり重要な事のように思われて、私はこれを警戒警報の日にも書きつづけた。出来栄《できばえ》はもとより大いに不満であるが、この仕事を、昭和聖代の日本の作

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