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トップ > 太宰Web文庫 > 女類
女類 (p2/8)
 僕(二十六歳)は、女をひとり、殺した事があるんです。実にあっけなく、殺してしまいました。
 終戦直後の事でした。僕は、敗戦の前には徴用で、伊豆《いず》の大島にやられていまして、毎日毎日、実にイヤな穴掘工事を言いつけられ、もともとこんな痩《や》せ細ったからだなので、いやもう、いまにも死にそうな気持ちになったほどの苦労をしました。終戦になって、何が何やら、ただへとへとに疲れて、誇張した言い方をするなら、ほとんど這《は》うようにして栃木県の生家にたどりつき、それから三箇月間も、父母の膝下《しっか》でただぼんやり癈人《はいじん》みたいな生活をして、そのうちに東京の、学生時代からの文学の友だちで、柳田という抜け目の無い、なかなかすばしこい人物が、「金はある。新雑誌を発刊するつもり。君も手伝え。」という意味の速達を寄こして、僕も何だか、ハッと眼が覚めたような気持ちになり、急ぎ上京して、そうして今のこの「新現実」という文芸雑誌の、まあ、編輯部《へんしゅうぶ》次長というような肩書で、それから三年も、まるで半狂乱みたいな戦後のジャアナリズムに、もまれて生きてまいりました。
 その終戦直後に、僕が栃木県の生家から東京へ出て来た時には、東京の情景、見るもの聞くもの、すべて悲しみの種でしたが、しかし、少くとも僕一個人にとって、痛快、といってもいいくらいの奇妙なよろこびを感じさせられた事は、市場に物資がたくさん出ていて、また飲み食いする屋台、小料理屋が、街々にひしめき、あふれるという感じで立ち並び、怪しい活況を呈していた事でした。もとより、僕にとっては、市場に山ほどの品物が積まれてあっても、それを購買する能力は無く、ただ見て通るだけなのですが、それでも何だか浮き浮きした気持ちになり、また、時たま友人たちと、屋台ののれんに首を突込み、焼鳥の串《くし》をかじり、焼酎《しょうちゅう》を飲み、大声で民主々義の本質に就《つ》いて論じ合ったりなど致しますと、まさしく解放せられたる自由というものをエンジョイしているような実感がして来たものです。
 そのうちに僕は、新橋の或《あ》る屋台のおかみに惚《ほ》れられました。いや、笑わないで下さい。本当に、惚れられたのです。ここが大事のところですから、僕もてれずに言うんです。申しおくれましたが、当時の僕の住《すま》いは、東京駅、八重洲口《やえすぐち》附近の焼けビルを、アパート風に改造したその二階の一部屋で、終戦後はじめての冬の寒風は、その化け物屋敷みたいなアパートの廊下をへんな声を挙げて走り狂い、今夜もまたあそこへ帰って寝るのかと思うと、心細さ限りなく、だんだん焼酎など飲んで帰る度数がひんぱんになり、また友だちとの附き合い、作家との附き合いなどで、一ぱしの酒飲みになってしまいました。銀座のその雑誌社から日本橋のアパートへ帰るのに、省線か徒歩か、いずれにしても、新橋で飲むのが一ばん便利だったものですから、僕はたいていあの新橋辺の屋台を覗《のぞ》きまわっていたのでした。
 いつか、柳田という、れいの抜け目の無い、自分で自分の顔の表情を鏡を見なくても常に的確に感知できると誇称している友人、兼、編輯部長に連れられて、新橋駅のすぐ近くの川端に建って在るおでん屋へ飲みに行きました。そこもまた、屋台には違い無いのですが、奥

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