津軽半島を縦に走る中山山脈には、質、量ともに国内有数のヒバ林が広がっています。金木営林署は、木材輸送及び集積の拠点として県内最大の規模を誇り、それに伴い町も大いに栄えました。
そして、木材の輸送手段として森林鉄道が計画され、金木(喜良市)~青森間67kmが明治39年着工から明治42年までの、わずか3年5か月で完成。当時の土木技術とすれば驚異的記録であり、これを可能にしたのは、当時の鉄道院の協力によって東北・奥羽本線から優秀で経験豊富な技術者や労働者を多数得られたためであるとされています。また、この区間は我が国の森林鉄道開通第一号であり、この地方の良質のヒバが、いかに重要であったかがうかがえます。
津軽森林鉄道の工事は明治39年6月に始まり、明治42年11月30日に工事が完了。明治43年5月4日、本格運行開始。
運行期間は毎年4月下旬から11月までで、冬期間は積雪のため運行を休止。また、津軽森林鉄道が開通した頃、津軽半島を横断する道路、鉄道は全く整備されていない状態であり、沿線住民の足としても利用されました。
昭和30年頃から、自動車による木材輸送が発達し、森林鉄道による輸送は減少します。さらに、森林鉄道軌道を自動車道にする工事が行われ、津軽森林鉄道の幹線は昭和42年11月、58年間の役目を終えました。
青森市柳川にある「青森市森林博物館」の建物は、青森県産ヒバ材を主に利用したルネッサンス式木造建物。館内では、森林鉄道の写真が展示されており、当時の歴史を知ることができます。また、博物館の外には最古の森林機関車もあり、往時を偲ばせます。