• 日本語
  • English
  • 韓国語
  • 中文
トップ >  奥津軽観光 >  観光スポット >  太宰 >  太宰の小説

太宰の小説

26 件

上のカテゴリへ全体地図で見る
並び替え|観光スポット名|人気度

1 - 20 件目 ( 26 件中)   前 1 2


円覚寺
2009/10/20 10:15 [ 12377アクセス ]
 国の重要文化財に指定されている薬師堂内厨子や船絵馬が奉納されています。また、船乗りたちが助かったお礼のために結っていたちょんまげを絵馬として奉納したものが公開されています。 深浦町にある円覚寺は、大同二丁亥年(807)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷東征の時に、厩戸皇子作の十一面観世音菩薩を安置し、観音堂を建立したのがはじまりと伝えられています...詳細を見る!
旧秋田屋旅館(太宰の宿 ふかうら文学館)
2009/10/20 10:12 [ 19527アクセス ]
 太宰治がかつて宿泊し、小説「津軽」にも登場した旧秋田屋旅館を改装した文学館です。2階には実際に宿泊した部屋を当時のままに再現し、当時の料理を推測で再現されています。 深浦町にあった秋田屋旅館に、太宰は2回宿泊しています。 1度目は「津軽」執筆時。旅館の主人が兄・英治と中学校の同期生で、鮑のはらわたの塩辛をごちそうになり、自分の兄たちの勢力...詳細を見る!
龍飛岬観光案内所(旧奥谷旅館)
2009/10/20 9:44 [ 23801アクセス ]
 太宰治が宿泊した部屋に入れます。童女の歌声が聞こえてくるかもしれません。その他、宿帳には、太宰治(中村筆?)や中村貞次郎の宿帳や棟方志功も直筆で記帳も見れます。 太宰治が「津軽」執筆の折、親友N(中村貞次郎)君と泊まった宿。 持ち主である奥谷福太郎氏と隣接する土地の人達により外ヶ浜町へ無償譲渡され、平成20年4月「龍飛岬観光案内所」として生ま...詳細を見る!
義経寺
2009/10/20 9:41 [ 18655アクセス ]
 「義経が海路の平安を祈って建てられた寺」という伝説が残る寺です。 小説「津軽」の中で、太宰とN君が石の階段を上って訪れた義経寺は、源義経の伝説が残る寺。 義経主従は平泉から逃れ三厩に至り北海道へ渡る際、海の荒れを鎮めるため、岩頭で三日三晩観音様に祈願したところ白髪の翁が現れ 3 頭の竜馬を与えると告げます。観音様を厩石に安置し、馬に乗って無...詳細を見る!
蟹田観瀾山太宰治文学碑
2009/10/20 9:38 [ 31051アクセス ]
 太宰治が「津軽」執筆時にN君たちと登った小山で蟹田町、漁港、陸奥湾がすべて見渡せる場所。下北半島の仏ヶ浦も見ることができます。 太宰が「津輕」執筆時にN君たちと登った小山が観瀾山。 展望所からは、蟹田の町や漁港のほか、陸奥湾が見渡せ、晴れた日には対岸の下北半島の仏ヶ浦も見ることができます。 観瀾山公園の中に建立されている文学碑には「か...詳細を見る!
浅虫温泉
2009/10/20 9:34 [ 16781アクセス ]
 浅虫海岸のシンボル「裸島」その名の通り裸の巨岩である。親子の悲しい伝説も残っています。 平安時代、法然がこの地を訪れた時、傷ついた鹿が湯浴みするのを見て発見した温泉。 海岸では、海水浴やウインドサーフィン、ヨット、釣り、森林浴、湯治が楽しめます。 「トカトントン」の舞台となり、「思ひ出」にも登場。太宰の家族も湯治で訪れています。詳細を見る!
常光寺・下宿跡
2009/10/20 9:31 [ 24049アクセス ]
常光寺や豊田家も含め、青森市内は昭和20年7月28日、予告されていた青森空襲で81%が消失しています。新型焼夷弾の実験で東北地方で最大の被害が出ました。 太宰は青森中学時代、金木からは遠くて通えないため、青森市寺町にあった叔母・きゑの後夫常吉の実家である呉服店・豊田太左衛門方に下宿していました。 隣接する常光寺は、棟方志功の菩提寺で、太...詳細を見る!
旧制青森中学校校歌碑(青森市営球場)
2009/10/20 9:21 [ 15984アクセス ]
 春には青森春まつりが行われ、夏には海水浴が楽しめる場所です。公園内には青森市営球場があります。樹齢460年以上といわれる三譽の松は市文化財として天然記念物に指定されています。 大正12年(1923)、14歳の太宰は旧制県立青森中学校(現・青森高等学校)に入学、青森の親戚豊田太左衛門方(青森市寺町14番地)に下宿して通学しました。 2学期から卒業まで級長を通す一方...詳細を見る!
十三湖のしじみ
2009/10/20 9:11 [ 18324アクセス ]
 淡水と海水が入り交じる汽水湖で、日本有数のヤマトシジミの産地です。また、鎌倉時代から室町期にかけて数々の貿易を行い、北国第一の湊として栄えたと伝えられています。 津軽平野の北端にある十三湖は、世界自然遺産白神山地と霊峰岩木山を源流とする岩木川の淡水と、日本海の海水が混ざり合った汽水湖。 中世の頃には安東氏が支配し、貿易港として賑わいを...詳細を見る!
ふれあい運動場 太宰治文学碑
2009/10/20 8:53 [ 12965アクセス ]
 中泊町小泊にある「ふれあい運動場」は、小説「津軽」のクライマックスで、太宰の子守をしていたタケと太宰が30年ぶりに再会を果たした旧小泊国民学校運動場。 節に案内されて運動会の小屋(ワラムシロで作った小屋)の前で劇的な再会を果たしたのは、昼の12時45分頃だったといいます。「掛小屋へはいり、すぐそれと入違いに、たけが出て来た。『修治だ』私は笑っ...詳細を見る!
竜神様跡手前・太宰治文学碑
2009/10/20 8:50 [ 12957アクセス ]
 ―小泊までたずねて来てくれたかと思うと、ありがたいのだか、うれしいのだが、そんな事は、どうでもいいじゃ、まあ、よく来たなあ。「津軽」― 小泊にある「太宰とたけ再会の道」にある文学碑の1つ。太宰が小説執筆のためタケの家を訪ね、2人で運動会を眺めたあと、八重桜が咲く竜神様へお参りに行きます。 小説では2人きりのようだが、実際は近所の人達と6、...詳細を見る!
津軽鉄道 (風鈴列車・鈴虫列車・ストーブ列車)
2009/10/19 20:34 [ 28359アクセス ]
 昭和5年開業。五所川原から中里まで20.7kmの広大な田園地帯を走る津軽鉄道は、奥津軽のシンボル的存在です。 夏は、各車両に風鈴や短冊が下げられた「風鈴列車」、秋には鈴虫の籠が取り付けられた「鈴虫列車」、そして冬は、車内にダルマストーブが設置された「ストーブ列車」となって、車窓から銀世界を満喫することができます。 現在の金木駅は、交流プラザが併...詳細を見る!
馬禿山
2009/10/19 20:29 [ 15609アクセス ]
 馬禿山のすぐ近くまでは、車で進めますが、林道のため舗装されていません。どうしても禿げている場所に登りたい人は、登山道がないため自己責任で登ってください。 標高175mの馬禿山。中腹にある赤土の部分が八の字に禿げていて樹木が無く、小山の二箇所に草木が生えていない場所(シラス地層)があります。 奥州平泉で自害したといわれている源義経が、伝説では生...詳細を見る!
藤の滝
2009/10/19 20:28 [ 14330アクセス ]
 藤の滝へと続く林道の大部分は、かつて津軽森林鉄道の軌道でした。この道を通り、深い奥山から良質のヒバが切り出されました。 金木町の喜良市から小田川を溯り、約7kmの地点にある滝。雄滝、雌滝と2段の滝があり、ふたつを総称して藤の滝と呼ばれています。 雄滝が、太宰の小説「魚服記」の舞台となった場所とされ、雄滝の高さは、約30m。上流500mの場所には、多...詳細を見る!
鹿ノ子滝
2009/10/19 20:26 [ 14379アクセス ]
 春先は雪融け水が流れるため水量は多いが、5月~9月は下流の水田に水を送るため、ほとんど水の流れがありません。 主要地方道・屏風山内真部線に沿った、鹿ノ子川溜池上流の断崖に挟まれたところにある滝。落差は12m。 太宰が「津軽」執筆のために兄夫婦達と散策に出かけた場所です。太宰は兄と一緒に歩くのは10年以上ぶりで、もう無いだろうと小説の中で語っ...詳細を見る!
鹿ノ子川溜池
2009/10/19 20:24 [ 12502アクセス ]
 太宰が「津軽」執筆のために兄夫婦達とピクニックに出かけた場所です。 鹿ノ子川溜池は、「魚服記」の舞台となり、太宰が「津軽」執筆のために兄夫婦達と散策に出かけた場所です。 太宰は、兄と一緒に歩くのは10年以上ぶりで、今後はもう無いだろうと小説の中で語っています。 主要地方道・屏風山内真部線に沿ったところにあります。詳細を見る!
高流れ山
2009/10/19 20:23 [ 12968アクセス ]
 太宰が「…ここにお城を築いて…」と書いた場所。金木町だけでなく岩木山や権現崎、遠くには日本海も見渡せる絶好の写真撮影スポットです。現在は私有地が大部分です。 五所川原市高長根、通称「高流れ山」。 小説「津軽」執筆の際散歩に行った、津軽平野が一望できる風光明媚な場所です。 「津軽」では、「二百メートルにも足りない、小山であるが見晴らしが...詳細を見る!
南台寺
2009/10/19 20:09 [ 11964アクセス ]
 太宰の小説「帰去来」に登場し、今も現存する栗の大木。 南台寺は津島家の菩提寺で、明治42年(1909)から開かれている日曜学校があり、祖母いしの教育方針で、子守のタケが本を借りてきては太宰に読ませたそうです。 成人した太宰は、病気の母を見舞うために帰郷した時のことを「帰去来」に紹介。詳細を見る!
雲祥寺の老松
2009/10/19 20:08 [ 13493アクセス ]
 樹齢500年の老松。雲祥寺の歴史を長く見守ってきた貴重な存在です。 太宰が幼い頃、よく子守のタケに連れられて遊んだり、道徳を学んだりした曹洞宗の禅寺・雲祥寺。境内にあるのが樹齢500年以上といわれている赤松です。 慶長元年(1596)から開かれた雲祥寺の歴史より古く、雲祥寺が建立されたとき、この松を生かして、現在の場所が選ばれたのではないかと推測さ...詳細を見る!
斜陽館通り(本町)
2009/10/19 20:06 [ 13326アクセス ]
 太宰治の生家「斜陽館」が通りの中心で存在感をたっぷり放っています。近隣には津軽三味線会館があります。 国指定重要文化財の太宰治記念館「斜陽館」から、国登録有形文化財旧西澤家住宅、金木観光物産館、青森銀行、青い森信用金庫のある通りは、斜陽館通りと呼ばれています。 かつて、旧津島家の周りには警察署、郵便局、裁判所、銀行などが軒を連ねており...詳細を見る!

1 - 20 件目 ( 26 件中)   前 1 2


Myルートガイド