自作を語る (p3/3) る。他に言いたい事は無い。だから、その作品が拒否せられたら、それっきりだ。一言も無い。私は、私の作品を、ほめてくれた人の前では極度に矮小《わいしょう》になる。その人を、だましているような気がするのだ。反対に、私の作品に、悪罵《あくば》を投げる人を、例外なく軽蔑する。何を言ってやがると思う。 こんど河出書房から、近作だけを集めた「女の決闘」という創作集が出版せられた。女の決闘は、この雑誌(文章)に半箇年間、連載せられ、いたずらに読者を退屈がらせた様子である。こんど、まとめて一本にしたのを機会に、感想をお書きなさい、その他の作品にも、ふれて書いてくれたら結構に思います、というのが編輯者、辻森《つじもり》さんの言いつけである。辻森さんには、これまで、わがままを通してもらった。断り切れないのである。 私には、今更、感想は何も無い。このごろは、次の製作に夢中である。友人、山岸外史君から手紙をもらった。(「走れメロス」その義、神《しん》に通ぜんとし、「駈込み訴え」その愛欲、地に帰せんとす。) 亀井勝一郎君からも手紙をもらった。(「走れメロス」再読三読いよいよ、よし。傑作である。) 友人は、ありがたいものである。一巻の創作集の中から、作者の意図を、あやまたず摘出してくれる。山岸君も、亀井君も、お座なりを言うような軽薄な人物では無い。この二人に、わかってもらったら、もうそれでよい。 自作を語るなんてことは、老大家になってからする事だ。
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