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トップ > 太宰Web文庫 > 作家の手帖
作家の手帖 (p4/6)
馬や熊や猿を見せてくれるのだが、私は少しもたのしくなかった。私は、あの悪童たちと一緒に追い散らされたかったのである。曲馬団は、その小屋掛けに用いる丸太などを私の家から借りて来ているのかも知れない。私はテントから逃げ出す事も出来ず、実に浮かぬ気持で、黙って馬や熊を眺めている。テントの外には、また悪童たちが忍び寄って来て、わいわい騒いでいる。こら! と曲馬団の者が呶鳴る。わあと言って退却する。実に、たのしそうなのである。私は、泣きべそかいて馬を見ている。あの悪童たちが、うらやましくて、うらやましくて、自分ひとりが地獄の思いであったのだ。いつか私は、この事を或《あ》る先輩に言ったところが、その先輩は、それは民衆へのあこがれというものだ、と教えてくれた。してみると、あこがれというものは、いつの日か必ず達せられるものらしい。私は今では、完全に民衆の中の一人である。カアキ色のズボンをはいて、開襟《かいきん》シャツ、三鷹の町を産業戦士のむれにまじって、少しも目立つ事もなく歩いている。けれども、やっぱり酒の店などに一歩足を踏み込むと駄目である。産業戦士たちは、焼酎《しょうちゅう》でも何でも平気で飲むが、私は、なるべくならばビイルを飲みたい。産業戦士たちは元気がよい。
「ビイルなんか飲んで上品がっていたって、仕様がないじゃねえか。」と、あきらかに私にあてつけて大声で言っている。私は背中を丸くして、うつむいてビイルを飲んでいる。少しもビイルが、うまくない。幼少の頃の曲馬団のテントの中の、あのわびしさが思い出される。私は君たちの友だとばかり思って生きて来たのに。
 友と思っているだけでは、足りないのかも知れない。尊敬しなければならぬのだ。厳粛に、私はそう思った。
 その酒の店からの帰り道、井《い》の頭《かしら》公園の林の中で、私は二、三人の産業戦士に逢った。その中の一人が、すっと私の前に立ちふさがり、火を貸して下さい、と叮嚀《ていねい》な物腰で言った。私は恐縮した。私は自分の吸いかけの煙草《たばこ》を差し出した。私は咄嗟《とっさ》の間に、さまざまの事を考えた。私は挨拶《あいさつ》の下手《へた》な男である。人から、お元気ですか、と問われても、へどもどとまごつくのである。何と答えたらいいのだろう。元気とは、どんな状態の事をさして言うのだろう。元気、あいまいな言葉だ。むずかしい質問だ。辞書をひいて見よう。元気とは、身体を支持するいきおい。精神の活動するちから。すべて物事の根本となる気力。すこやかなること。勢いよきこと。私は考える。自分にいま勢いがあるかどうか。それは神さまにおまかせしなければならぬ領域で、自分にはわからない事だ。お元気ですか、と何気なく問われても、私はそれに対して正確に御返事しようと思って、そうして口ごもってしまうのだ。ええ、まあ、こんなものですが、でも、まあ、こんなものでしょうねえ、そうじゃないでしょうか、などと自分ながら何が何やらわけのわからぬ挨拶をしてしまうような始末である。私には社交の辞令が苦手である。いまこの青年が私から煙草の火を借りて、いまに私に私の吸いかけ煙草をかえすだろう、その時、この産業戦士は、私に対して有難うと言うだろう。私だって、人から火を借りた時には、何のこだわりもなく、有難うという。それは当りまえの話だ。私の場合、ひとよりもっと叮嚀に、帽子をとり、腰をかがめて、有難うございました、とお礼を申し上

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