• 日本語
  • English
  • 韓国語
  • 中文
Clip to Evernote
 
トップ > 太宰Web文庫 > 心の王者
心の王者 (p2/3)
 先日、三田《みた》の、小さい学生さんが二人、私の家に参りました。私は生憎《あいにく》加減が悪くて寝ていたのですが、ちょっとで済む御話でしたら、と断って床から抜け出し、どてらの上に羽織を羽織って、面会いたしました。お二人とも、なかなかに行儀がよろしく、しかもさっさと要談をすまし、たちどころに引上げました。
 つまり、この新聞に随筆を書けという要談であったわけです。私から見ると、いずれも十六七くらいにしか見えない温厚な少年でありましたが、それでもやはり廿を過ぎて居られるのでしょうね。どうも、此頃《このごろ》、人の年齢のほどが判らなくなってしまいました。十五の人も三十の人も四十の人も、また或は五十の人も、同じことに怒り、同じことに笑い興じ、また同様に少しずるく、また同様に弱く卑屈で、実際、人の心理ばかりを見ていると、人の年齢の差別など、こんぐらかって来てわからなくなり、どうでもいいようになってしまうのであります。先日の二人の学生さんだって、十六七には見えながら、その話振りには、ちょいとした駈引《かけひき》などもあり、なかなか老成していた箇所がありました。いわば、新聞|編輯者《へんしゅうしゃ》として既に一家を成していました。お二人が帰られてから私は羽織を脱ぎ、そのまま又|布団《ふとん》の中にもぐりこみ、それから暫《しば》らく考えました。今の学生諸君の身の上が、なんだか不憫《ふびん》に思われて来たのであります。
 学生とは、社会のどの部分にも属しているものではありません。また、属してはならないものであると考えます。学生とは本来、青いマントを羽織ったチャイルド・ハロルドでなければならぬと、私は頑迷にも信じている者であります。学生は思索の散歩者であります。青空の雲であります。編輯者に成りきってはいけない。役人に成りきってはいけない。学者になりきってさえいけない。老成の社会人になりきることは学生にとって、恐ろしい堕落であります。学生自らの罪ではないのでしょう。きっと誰かに、そう仕向けられているのでしょう。だから私は不憫だと言うのであります。
 それでは学生本来の姿は、どのようなものであるか。それに対する答案として、私はシルレルの物語詩を一篇、諸君に語りましょう。シルレルはもっと読まなければいけない。
 今のこの時局に於《おい》ては尚更《なおさら》、大いに読まなければいけない。おおらかな、強い意志と、努めて明るい高い希望を持ち続ける為にも、諸君は今こそシルレルを思い出し、これを愛読するがよい。シルレルの詩に、「地球の分配」という面白い一篇がありますが、その大意は、凡《およ》そ次のようなものであります。
「受取れよ、この世界を!」と神の父ゼウスは天上から人間に号令した。
「受取れ、これはお前たちのものだ。お前たちにおれは、これを遺産として、永遠の領地として、贈ってやる。さあ、仲好く分け合うのだ。」その声を聞き、忽《たちま》ち先を争って、手のある限りの者は右往左往、おのれの分前を奪い合った。農民は原野に境界の杙《くい》を打ち、其処《そこ》を耕して田畑となした時、地主がふところ手して出て来て、さて嘯《うそぶ》いた。「その七割は俺《おれ》のものだ。」また、商人は倉庫に満す物貨を集め、長老は貴重な古い葡萄酒《ぶどうしゅ》を漁《あさ》り、公達《きんだち》は緑したた

<< 表紙へ戻る 次のページ (p3/3) >>
Myルートガイド
 
facebook公式ページヘ
奥津軽を楽しむ
津軽の味
津軽を体験
おすすめ観光ルート
年間イベント案内
近日開催イベント
  • 予定なし
イベント情報へ