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トップ > 太宰Web文庫 > 風の便り
風の便り (p4/26)
りました。「華厳《けごん》」は、よかった。今月、「文学月報」に発表された短篇小説を拝見して、もう、どうしてもじっとして居られず、二十年間の、謂わば、まあ、秘めた思いを、骨折って、どもりどもり書き綴《つづ》りました。失礼ではあっても、どうか、怒らないで下さい。私も既に四十ちかく、髪の毛も薄くなっていながら、二十年間の秘めたる思いなどという女学生の言葉みたいなものを、それも五十歳をとうに越えられているあなたに向って使用するのは、いかにもグロテスクで、書いている当人でさえ閉口している程なのですから、受け取るあなたの不愉快も、わかるように思いますが、どうも、他に、なんとも書き様がございませんでした。私は無学な作家です。二十年間、恥ずかしい痩《や》せた小説を、やっと三十篇ばかり発表しました。二十年間、あなたはその間に、立派な全集を、三種類もお出しなさって、私のほうは明治大正の文学史どころか、昭和の文壇の片隅に現われかけては消え、また現われかけては忘れられ、やきもきしたりして、そうして此頃は、また行きづまり、なんにも書けなくなりました。愚痴は申さぬつもりでありました。ありましたが、どうか、此の愚痴一つばかりは聞いて下さい。私は、批評家たちの分類に従うと、自然主義的な私小説家という事になって居ります。それは、あなたが一口に高踏派《こうとうは》と言われているのと同じくらいの便宜上の分類に過ぎませぬが、私の小説の題材は、いつも私の身辺の茶飯事から採られているので、そんな名前をもらっているのです。私は、「たしかな事」だけを書きたかったのです。自分の掌で、明確に知覚したものだけを書いて置きたかったのです。怒りも、悲しみも、地団駄《じだんだ》踏んだ残念な思いも。私は、嘘を書かなかった。けれども、私は、此頃ちっとも書けなくなりました。おわかりでしょうか。無学であるという事が、だんだん致命傷のように思われて来ました。私には手軽に、歴史小説も書けません。作品の行きづまりは、私のようなその日ぐらしの不流行の作家にとって、すなわち生活の行きづまりでもあります。私に、何が出来るでしょう。私は戦地へ行きたい。嘘の無い感動を捜しに。私は真剣であります。もっと若くて、この脚気《かっけ》という病気さえ無かったら、私は、とうに志願しています。
 私は行きづまってしまいました。具体的な理由は、申し上げません。私は、あなたの「華厳」を読み、その興奮から、二十年間の抑制を破り、思い切って手紙を書いたと前に申し上げましたが、実は、その興奮の他に、私の此の行きづまりをも訴えたかったからでありました。二十年間、私の歩んで来た文学の道に、このように大きな疑問が生じたのは、はじめての事であります。ぎりぎりに困惑したら、一言だけ、あなたのお指図をいただきたいと、二十年間、私は、ひそかに、頼みにして生きて来ました。少しでも、いじらしいとお思いになったら、御返事を下さい。二十年間を、決して押売《おしう》りするわけではございませんが、もういまは、私の永い抑制を破り、思い切って訴える時のようであります。どうか、失礼の段は、おゆるし下さい。
 私の最近の短篇小説集、「へちまの花」を一部、お送り申しました。お読み捨て下さい。
 ここは武蔵野のはずれ、深夜の松籟《しょうらい》は、浪《なみ》の響きに似ています。此の、ひきむしられるような凄《さび》しさの在る限り、文学も不滅と思われますが、それ

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