かすかな声 (p2/3) 信じるより他は無いと思う。私は、馬鹿正直に信じる。ロマンチシズムに拠《よ》って、夢の力に拠って、難関を突破しようと気構えている時、よせ、よせ、帯がほどけているじゃないか等と人の悪い忠告は、言うもので無い。信頼して、ついて行くのが一等正しい。運命を共にするのだ。一家庭に於いても、また友と友との間に於いても、同じ事が言えると思う。信じる能力の無い国民は、敗北すると思う。だまって信じて、だまって生活をすすめて行くのが一等正しい。人の事をとやかく言うよりは、自分のていたらくに就《つ》いて考えてみるがよい。私は、この機会に、なお深く自分を調べてみたいと思っている。絶好の機会だ。 信じて敗北する事に於いて、悔いは無い。むしろ永遠の勝利だ。それゆえ人に笑われても恥辱《ちじょく》とは思わぬ。けれども、ああ、信じて成功したいものだ。この歓喜! だまされる人よりも、だます人のほうが、数十倍くるしいさ。地獄に落ちるのだからね。 不平を言うな。だまって信じて、ついて行け。オアシスありと、人の言う。ロマンを信じ給え。「共栄」を支持せよ。信ずべき道、他に無し。 甘さを軽蔑する事くらい容易な業は無い。そうして人は、案外、甘さの中に生きている。他人の甘さを嘲笑《ちょうしょう》しながら、自分の甘さを美徳のように考えたがる。 「生活とは何ですか。」 「わびしさを堪える事です。」 自己弁解は、敗北の前兆である。いや、すでに敗北の姿である。 「敗北とは何ですか。」 「悪に媚笑《びしょう》する事です。」 「悪とは何ですか。」 「無意識の殴打です。意識的の殴打は、悪ではありません。」 議論とは、往々にして妥協したい[#「したい」に傍点]情熱である。 「自信とは何ですか。」 「将来の燭光を見た時の心の姿です。」 「現在の?」 「それは使いものになりません。ばかです。」 「あなたには自信がありますか。」 「あります。」 「芸術とは何ですか。」 「すみれの花です。」 「つまらない。」 「つまらないものです。」 「芸術家とは何ですか。」 「豚の鼻です。」
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