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花燭 (p3/16)
この男は、その学生時代、二、三の目立った事業を為した。恋愛と、酒と、それから或る種の政治運動。牢屋にいれられたこともあった。自殺を三度も企て、そうして三度とも失敗している。多人数の大家族の間に育った子供にありがちな、自分ひとりを余計者と思い込み、もっぱら自分を軽んじて、甲斐ない命の捨てどころを大あわてにあわてて捜しまわっているというような傾向が、この男爵と呼ばれている男の身の上にも、見受けられるのである。なんでもいい、一刻も早く、人柱にしてもらって、この世からおさらばさせていただき、そうして、できれば、そのことに依《よ》って二、三の人のためになりたかった。自分の心の醜さと、肉体の貧しさと、それから、地主の家に生れて労せずして様々の権利を取得していることへの気おくれが、それらに就《つ》いての過度の顧慮が、この男の自我を、散々に殴打し、足蹶《あしげ》にした。それは全く、奇妙に歪曲《わいきょく》した。このあいそのつきた自分の泡のいのちを、お役に立ちますものなら、どうかどうか使って下さい。卑劣と似ていた。けれどもそれが、この男に残された唯一の、せめてもの、行為のスローガンになっていたのである。男は、それに依って行為した。男の行為は、その行為の外貌は、けれども多少はなやかであった。われは弱き者の仲間。われは貧しき者の友。やけくその行為は、しばしば殉教者のそれと酷似する。短い期間ではあったが、男は殉教者のそれとかわらぬ辛苦を嘗《な》めた。風にさからい、浪に打たれ、雨を冒した。この艱難《かんなん》だけは、信頼できる。けれども、もともと絶望の行為である。おれは滅亡の民であるという思念一つが動かなかった。早く死にたい願望一つである。おのれひとりの死場所をうろうろ捜し求めて、狂奔していただけの話である。人のためになるどころか、自分自身をさえ持てあました。まんまと失敗したのである。そんなにうまく人柱なぞという光栄の名の下に死ねなかった。謂わば、人生の峻厳《しゅんげん》は、男ひとりの気ままな狂言を許さなかったのである。虫がよいというものだ。所詮《しょせん》、人は花火になれるものではないのである。事実は知らず、転向という文字には、救いも光明も意味されている筈である。そんなら、かれの場合、これは転向という言葉さえ許されない。廃残《はいざん》である。破産である。光栄の十字架ではなく、灰色の黙殺を受けたのである。ざまのよいものではなかった。幕切れの大見得切っても、いつまでも幕が降りずに、閉口している役者に似ていた。かれは仕様がないので、舞台の上に身を横《よこた》え、死んだふりなどして見せた。せっぱつまった道化である。これが廃人としての唯一のつとめか。かれは、そのような状態に墜ちても、なお、何かの「ため」を捨て切れなかった。私の身のうちに、まだ、どこか食えるところがあるならば、どうか勝手に食って下さい、と寝ころんでいる。食えるところがまだあった。かれは地主のせがれであり、月々のくらしには困っていない。なんらかの素因で等しく世に敗れ、廃人よ、背徳者よとゆび指され、そうしてかれより貧しい人たちは、水の低きにつくが如く、大挙してかれの身のまわりにへばりついた。そうして、この男に、男爵という軽蔑を含めた愛称を与えて、この男の住家をかれらの唯一の慰安所と為した。男爵はぼんやり、これら訪問客たちのために、台所でごはんをたき、わびしげに芋《いも》の皮をむいていた。
 かれは、そんな男であった。訪問客のひとりが活動写真の撮影所につとめることになりそ

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