黄村先生言行録 (p2/13) (はじめに、黄村先生が山椒魚《さんしょううお》に凝《こ》って大損をした話をお知らせしましょう。逸事の多い人ですから、これからも時々、こうして御紹介したいと思います。三つ、四つと紹介をしているうちに、読者にも、黄村先生の人格の全貌《ぜんぼう》が自然とおわかりになるだろうと思われますから、先生に就いての抽象的な解説は、いまは避けたいと思います。)黄村先生が、山椒魚なんて変なものに凝りはじめた事に就いては、私にも多少の責|在《あ》りとせざるを得ない。早春の或る日、黄村先生はれいのハンチング(ばかに派手な格子縞《こうしじま》のハンチングであるが、先生には少しも似合わない。私は見かねて、およしになったらどうですか、と失礼をもかえりみず言った事があるが、その時先生は、私も前からそう思っている、と重く首肯せられたが、いまだにおよしにならない)そのハンチングを、若者らしくあみだにかぶって私の家へ遊びに来て、それから、家のすぐ近くの井《い》の頭《かしら》公園に一緒に出かけて、私はこんな時、いつも残念に思うのだが、先生は少しも風流ではないのである。私は、よほど以前からその事を看破していたのであるが、 「先生、梅。」私は、花を指差す。 「ああ、梅。」ろくに見もせず、相槌《あいづち》を打つ。 「やっぱり梅は、紅梅よりもこんな白梅のほうがいいようですね。」 「いいものだ。」すたすた行き過ぎようとなさる。私は追いかけて、 「先生、花はおきらいですか。」 「たいへん好きだ。」 けれども、私は看破している。先生には、みじんも風流心が無いのである。公園を散歩しても、ただすたすた歩いて、梅にも柳にも振向かず、そうして時々、「美人だね。」などと、けしからぬ事を私に囁《ささや》く。すれちがう女にだけは、ばかに目が早いのである。私は、にがにがしくてたまらない。 「美人じゃありませんよ。」 「そうかね、二八《にはち》と見えたが。」 呆《あき》れるばかりである。 「疲れたね、休もうか。」 「そうですね。向うの茶店は、見はらしがよくていいだろうと思うんですけど。」 「同じ事だよ。近いほうがいい。」 一ばん近くの汚い茶店にのこのこはいって行って、腰をおろす。 「何か、たべたいね。」 「そうですね。甘酒かおしるこか。」 「何か、たべたいね。」 「さあ、ほかに何も、おいしいものなんて、ないでしょう?」 「親子どんぶりのようなものが、ないだろうか。」老人の癖に大食なのである。 私は赤面するばかりである。先生は、親子どんぶり。私は、おしるこ。たべ終って、
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