黄金風景 (p2/4) [#ここから8字下げ]海の岸辺に緑なす樫《かし》の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて ―プウシキン― [#ここで字下げ終わり] 私は子供のときには、余り質《たち》のいい方ではなかった。女中をいじめた。私は、のろくさいことは嫌《きら》いで、それゆえ、のろくさい女中を殊《こと》にもいじめた。お慶は、のろくさい女中である。林檎《りんご》の皮をむかせても、むきながら何を考えているのか、二度も三度も手を休めて、おい、とその度毎にきびしく声を掛けてやらないと、片手に林檎、片手にナイフを持ったまま、いつまでも、ぼんやりしているのだ。足りないのではないか、と思われた。台所で、何もせずに、ただのっそりつっ立っている姿を、私はよく見かけたものであるが、子供心にも、うすみっともなく、妙に疳《かん》にさわって、おい、お慶、日は短いのだぞ、などと大人びた、いま思っても脊筋《せすじ》の寒くなるような非道の言葉を投げつけて、それで足りずに一度はお慶をよびつけ、私の絵本の観兵式の何百人となくうようよしている兵隊、馬に乗っている者もあり、旗持っている者もあり、銃|担《にな》っている者もあり、そのひとりひとりの兵隊の形を鋏《はさみ》でもって切り抜かせ、不器用なお慶は、朝から昼飯も食わず日暮頃までかかって、やっと三十人くらい、それも大将の鬚《ひげ》を片方切り落したり、銃持つ兵隊の手を、熊《くま》の手みたいに恐ろしく大きく切り抜いたり、そうしていちいち私に怒鳴られ、夏のころであった、お慶は汗かきなので、切り抜かれた兵隊たちはみんな、お慶の手の汗で、びしょびしょ濡《ぬ》れて、私は遂《つい》に癇癪《かんしゃく》をおこし、お慶を蹴《け》った。たしかに肩を蹴った筈《はず》なのに、お慶は右の頬《ほお》をおさえ、がばと泣き伏し、泣き泣きいった。「親にさえ顔を踏まれたことはない。一生おぼえております」うめくような口調で、とぎれ、とぎれそういったので、私は、流石《さすが》にいやな気がした。そのほかにも、私はほとんどそれが天命でもあるかのように、お慶をいびった。いまでも、多少はそうであるが、私には無智な魯鈍《ろどん》の者は、とても堪忍《かんにん》できぬのだ。 一昨年、私は家を追われ、一夜のうちに窮迫し、巷《ちまた》をさまよい、諸所に泣きつき、その日その日のいのち繋《つな》ぎ、やや文筆でもって、自活できるあてがつきはじめたと思ったとたん、病を得た。ひとびとの情で一夏、千葉県船橋町、泥《どろ》の海のすぐ近くに小さい家を借り、自炊の保養をすることができ、毎夜毎夜、寝巻をしぼる程の寝汗とたたかい、それでも仕事はしなければならず、毎朝々々のつめたい一合の牛乳だけが、ただそれだけが、奇妙に生きているよろこびとして感じられ、庭の隅《すみ》の夾竹桃《きょうちくとう》の花が咲いたのを、めらめら火が燃えているようにしか感じられなかったほど、私の頭もほとほと痛み疲れていた。 そのころのこと、戸籍調べの四十に近い、痩《や》せて小柄のお巡《まわ》りが玄関で、帳簿の私の名前と、それから無精髯《ぶしょうひげ》のばし放題の私の顔とを、つくづく見比べ、おや、あなたは……のお坊ちゃんじゃございませんか? そう言うお巡りのことばに
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