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トップ > 太宰Web文庫 > 盲人独笑
盲人独笑 (p4/11)
《これら》は要するに皆かれの末技にして、真に欽慕《きんぼ》すべきは、かれの天稟《てんぴん》の楽才と、刻苦精進して夙《はや》く鬱然一家をなし、世の名利をよそにその志す道に悠々自適せし生涯とに他ならぬ。かれの手さぐりにて自記した日記は、それらの事情を、あますところ無く我らに教える。勾当、病歿せしは明治十五年、九月八日。年齢、七十一歳也。
 以上は、私が人名辞典やら、「葛原勾当日記」の諸家の序やら跋やら、または編者の筆になるところの年譜、逸話集、写真説明の文など、諸処方々から少しずつ無断盗用して、あやうく、纏《まと》めた故葛原勾当の極めて大ざっぱな略伝である。その人と為《な》りに就いての、私一個人の偽らぬ感想は、わざと避けた。日記の文章に就いての批評も、ようせぬつもりだ。今は、読者にその日記のほんの一部分を読んでいただけたら、それでよいのである。私一個人の感想も、批評も、自らその中に溶け込ませているつもりである。そのわけは、とにかく日記を読んでもらった後で申し上げることにしたい。ここには、勾当二十六歳、青春一年間の日記だけを、展開する。全日記の、謂《い》わば四十分の一に過ぎない。けれども、読者に不足を感じさせるような事は無い。そのわけも、日記の「あとかき」として申し上げる。いまは、勾当二十六歳正月一日の、手さぐりで一字一字押し印した日記の本文から、読者と共に、ゆっくり読みすすめる。本文は、すべて平仮名のみにて、甚だ読みにくいゆえ、私は独断で、適度の漢字まじりにする。盲人の哀しい匂いを消さぬ程度に。

     葛原勾当日記。天保八酉年。

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○正月一日。同よめる。
  たちかゑる。としのはしめは。なにとなく。しつがこころも。あらたまりぬる。
  山うば。琴にて。五へん。
○同二日。ゑちごじし。琴にて。十二へん。
  おふへ村、ちよ美、八つときに、きたる。あづまじし。さみせんと合はせたること、そのかずをしらず。
  おもうとち。しらべてあそぶ。いとたけの。かずにひかれて。けふもくらしつ。
  ゑちごじし。同五へん。
○同三日。なにごともなく。
○同四日。けいこ、はじめ。
  おせん。琴。きぬた。
  あぶらやのおせつ。琴。さよかぐら。
  とみよしや、おぬゐ。琴。うすごろも。
  おりやう。琴。ゆきのあした。
  すみ寿。琴。さくらつくし。
  おあそ。琴。きりつぼ。
  おけふ。琴。こむらさき。

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