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トップ > 太宰Web文庫 > 答案落第
答案落第 (p2/3)
「小説修業に就いて語れ。」という出題は、私を困惑させた。就職試験を受けにいって、小学校の算術の問題を提出されて、大いに狼狽している姿と似ている。円の面積を算出する公式も、鶴亀算の応用問題の式も、甚だ心もとなくいっそ代数でやればできるのだが、などと青息吐息の態《てい》とやや似ている。
 いろいろ複雑にくすぐったく、私は、恥ずかしい思いである。
 スタートラインに並んで、未《ま》だ出発の合図のピストルの打ち鳴らされぬまえに飛び出し、審判の制止の声も耳にはいらず、懸命にはしってはしってついに百|米《メートル》、得意満面ゴールに飛び込み、さて写真班のフラッシュ待ちかまえ、にっと笑ってみるのだが、少し様子がちがって、一つの喝采《かっさい》もなし、満場の人、みな気の毒そうにその選手の顔を見ている。選手はじめて、はっとおのれの失敗に気づいて、恥ずかしいとも、くるしいとも、なんとも、どうも話にならない。
 ふたたび私は、すごすご出発点に引返して、全身くたくたに疲れ、ぜいぜい荒い息を吐きながら、スタートラインに並んだ。フライイング犯した罰として、他の選手よりは一米うしろの地点から走らなければならない。「用意!」審判の冷酷の声が、ふたたび発せられる。
 私は、思いちがいしていた。このレエスは百米競争では、なかったのだ。千米、五千米、いやいや、もっとながい大マラソンであった。
 勝ちたい。醜くあせって全精力つかいはたして、こんなに疲れてしまっているが、けれども、私は選手だ。勝たなければ生きて行けない単純な選手だ。誰か、この見込みの少い選手のために、声援を与える高邁《こうまい》の士はいないか。
 おととしあたり、私は私の生涯にプンクトを打った。死ぬと思っていた。信じていた。そうなければかなわぬ宿命を信じていた。自分の生涯を自分で予言した。神を冒したのである。
 死ぬと思っていたのは、私だけではなかった。医者も、そう思っていた。家人も、そう思っていた。友人も、そう思っていた。
 けれども、私は、死ななかった。私は神のよほどの寵児《ちょうじ》にちがいない。望んだ死は与えられず、そのかわり現世の厳粛な苦しみを与えられた。私は、めきめき太った。愛嬌《あいきょう》もそっけもない、ただずんぐり大きい醜貌《しゅうぼう》の三十男にすぎなくなった。この男を神は、世の嘲笑《ちょうしょう》と指弾と軽蔑《けいべつ》と警戒と非難と蹂躙《じゅうりん》と黙殺の炎の中に投げ込んだ。男はその炎の中で、しばらくもそもそしていた。苦痛の叫びは、いよいよ世の嘲笑の声を大にするだけであろうから、男は、あらゆる表情と言葉を殺して、そうして、ただ、いも虫のように、もそもそしていた。おそろしいことには、男は、いよいよ丈夫になり、みじんも愛くるしさがなくなった。
 まじめ。へんに、まじめになってしまった。そうして、ふたたび出発点に立った。この選手には、見込みがある。競争は、マラソンである。百米、二百米の短距離レエスでは、もう、この選手、全然見込みがない。足が重すぎる。見よ、かの鈍重、牛の如き風貌を。
 変れば変るものである。五十米レエスならば、まず今世紀、かれの記録を破るものはある

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