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トップ > 太宰Web文庫 > チャンス
チャンス (p4/9)
に於いて俗に言われる「ひょんな事」「ふとした事」「妙な縁」「きっかけ」「もののはずみ」などという意味に解してもよろしいかと思われるが、私の今日までの三十余年間の好色生活を回顧しても、そのような事から所謂《いわゆる》「恋愛」が開始せられた事は一度も無かった。「もののはずみ」で、つい、女性の繊手《せんしゅ》を握ってしまった事も無かったし、いわんや、「ふとした事」から異性と一体になろうとあがく特殊なる性的煩悶、などという壮烈な経験は、私には未《いま》だかつて無いのである。
 私は決して嘘《うそ》をついているのではない。まあ、おしまいまで読み給え。
「もののはずみ」とか「ひょんな事」とかいうのは、非常にいやらしいものである。それは皆、拙劣きわまる演技でしかない。稲妻《いなずま》。あー こわー なんて男にしがみつく、そのわざとらしさ、いやらしさ。よせやい、と言いたい。こわかったら、ひとりで俯伏《うつぶ》したらいいじゃないか。しがみつかれた男もまた、へたくそな手つきで相手の肩を必要以上に強く抱いてしまって、こわいことない、だいじょぶ、など外人の日本語みたいなものを呟《つぶや》く。舌がもつれ、声がかすれているという情無い有様である。演技拙劣もきわまれりと言うべきである。「甘美なる恋愛」の序曲と称する「もののはずみ」とかいうものの実況は、たいていかくの如く、わざとらしく、いやらしく、あさましく、みっともないものである。
 だいたいひとを馬鹿にしている。そんな下手《へた》くそな見えすいた演技を行っていながら、何かそれが天から与えられた妙な縁の如く、互いに首肯《しゅこう》し合おうというのだから、厚かましいにも程があるというものだ。自分たちの助平の責任を、何もご存じない天の神さまに転嫁しようとたくらむのだから、神さまだって唖然《あぜん》とせざるを得まい。まことにふとい了見《りょうけん》である。いくら神さまが寛大だからといって、これだけは御許容なさるまい。
 寝てもさめても、れいの「性的煩悶」ばかりしている故に、そんな「もののはずみ」だの「きっかけ」だのでわけもなく「恋愛関係」に突入する事が出来るのかも知れないが、しかし心がそのところに無い時には、「きっかけ」も「妙な縁」もあったものでない。
 いつか電車で、急停車のために私は隣りに立っている若い女性のほうによろめいた事があった。するとその女性は、けがらわしいとでもいうようなひどい嫌悪《けんお》と侮蔑《ぶべつ》の眼つきで、いつまでも私を睨《にら》んでいた。たまりかねて私は、その女性の方に向き直り、まじめに、低い声で言ってやった。
「僕が何かあなたに猥褻《わいせつ》な事でもしたのですか? 自惚《うぬぼ》れてはいけません。誰があなたみたいな女に、わざとしなだれかかるものですか。あなたご自身、性慾が強いから、そんなへんな気のまわし方をするのだと思います。」
 その女性は、私の話がはじまるやいなや、ぐいとそっぽを向いてしまって、全然聞えない振りをした。馬鹿野郎! と叫んで、ぴしゃんと頬を一つぶん殴ってやりたい気がした。かくの如く、心に色慾の無い時には、「きっかけ」も「もののはずみ」も甚《はなは》だ白々しい結果に終るものなのである。よく列車などで、向い合せに坐った女性と「ひょんな事」

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