父 (p5/9) する。ついさっき私は、「義のために」遊ぶ、と書いた。義? たわけた事を言ってはいけない。お前は、生きている資格も無い放埒病《ほうらつびょう》の重患者に過ぎないではないか。それをまあ、義、だなんて。ぬすびとたけだけしいとは、この事だ。 それは、たしかに、盗人の三分《さんぶ》の理にも似ているが、しかし、私の胸の奥の白絹に、何やらこまかい文字が一ぱいに書かれている。その文字は、何であるか、私にもはっきり読めない。たとえば、十匹の蟻《あり》が、墨汁の海から這《は》い上って、そうして白絹の上をかさかさと小さい音をたてて歩き廻り、何やらこまかく、ほそく、墨の足跡をえがき印し散らしたみたいな、そんな工合いの、幽《かす》かな、くすぐったい文字。その文字が、全部判読できたならば、私の立場の「義」の意味も、明白に皆に説明できるような気がするのだけれども、それがなかなか、ややこしく、むずかしいのである。 こんな譬喩《ひゆ》を用いて、私はごまかそうとしているのでは決してない。その文字を具体的に説明して聞かせるのは、むずかしいのみならず、危険なのだ。まかり間違うと、鼻持ちならぬキザな虚栄の詠歎に似るおそれもあり、または、呆《あき》れるばかりに図々《ずうずう》しい面《つら》の皮千枚張りの詭弁《きべん》、または、淫祠《いんし》邪教のお筆先、または、ほら吹き山師の救国政治談にさえ堕する危険無しとしない。 それらの不潔な虱《しらみ》と、私の胸の奥の白絹に書かれてある蟻の足跡のような文字とは、本質に於いて全く異るものであるという事には、私も確信を持っているつもりであるが、しかし、その説明は出来ない。また、げんざい、しようとも思わぬ。キザな言い方であるが、花ひらく時節が来なければ、それは、はっきり解明できないもののようにも思われる。 ことしの正月、十日頃、寒い風の吹いていた日に、 「きょうだけは、家にいて下さらない?」 と家の者が私に言った。 「なぜだ。」 「お米の配給があるかも知れませんから。」 「僕が取りに行くのか?」 「いいえ。」 家の者が二、三日前から風邪《かぜ》をひいて、ひどいせきをしているのを、私は知っていた。その半病人に、配給のお米を背負わせるのは、むごいとも思ったが、しかし、私自身であの配給の列の中にはいるのも、頗《すこぶ》るたいぎなのである。 「大丈夫か?」 と私は言った。 「私がまいりますけど、子供を連れて行くのは、たいへんですから、あなたが家にいらして、子供たちを見ていて下さい。お米だけでも、なかなか重いんです。」 家の者の眼には、涙が光っていた。
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