父 (p2/9) [#ここから7字下げ]イサク、父《ちち》アブラハムに語《かた》りて、 父《ちち》よ、と曰《い》ふ。 彼《かれ》、答《こた》へて、 子《こ》よ、われ此《ここ》にあり、 といひければ、 ――創世記二十二ノ七 [#ここで字下げ終わり] 義のために、わが子を犠牲にするという事は、人類がはじまって、すぐその直後に起った。信仰の祖といわれているアブラハムが、その信仰の義のために、わが子を殺そうとした事は、旧約の創世記に録されていて有名である。 ヱホバ、アブラハムを試みんとて、 アブラハムよ、 と呼びたまふ。 アブラハム答へていふ、 われここにあり。 ヱホバ言ひたまひけるは、 汝《なんじ》の愛する独子《ひとりご》、すなはちイサクを携《たずさ》へ行き、かしこの山の頂きに於《おい》て、イサクを燔祭《はんさい》として献《ささ》ぐべし。 アブラハム、朝つとに起きて、その驢馬《ろば》に鞍《くら》を置き、愛するひとりごイサクを乗せ、神のおのれに示したまへる山の麓《ふもと》にいたり、イサクを驢馬よりおろし、すなはち燔祭の柴薪《たきぎ》をイサクに背負はせ、われはその手に火と刀を執《と》りて、二人ともに山をのぼれり。 イサク、父アブラハムに語りて、 父よ、 と言ふ。 彼、こたへて、 子よ、われここにあり、 といひければ、 イサクすなはち父に言ふ、 火と柴薪《たきぎ》は有り、されど、いけにへの小羊は何処《いずこ》にあるや。 アブラハム、言ひけるは、 子よ、神みづから、いけにへの小羊を備へたまはん。 斯《か》くして二人ともに進みゆきて、遂《つい》に山のいただきに到れり。 アブラハム、壇を築き、柴薪をならべ、その子イサクを縛りて、之《これ》を壇の柴薪の上に置《の》せたり。
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