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太宰を知る - 文豪・太宰治のルーツをたどる

文学への目覚め、そして迷走する学生時代。

【学生期】小学校入学~東京帝国大学

左から、太宰治、弟礼治、中村貞次郎

■大正5年 金木尋常小学校入学
 金木尋常小学校に入学した修治は、全甲主席で卒業。修治の小学校での成績に不審を抱いた津島家は、学力補充のため組合立明治高等小学校に入学させ、修治はこの学校に1年間通うことになりました。

■大正11年 組合立明治高等小学校入学
 在学中の放課後、親戚であり担任の傍島正守に、国語、綴方、算術などの個人指導をうけます。そんな折、上京中の父源右衛門が流行性感冒で入院中に逝去。葬儀準備中、傍島正守の引率同行で青森中学を受験し、合格します。

■大正14年 青森県立青森中学校に入学
 中学へは、遠縁にあたる豊田太左衛門方に下宿して通学しました。中学では、中村貞次郎や阿部合成と同級。在学中には、同人誌『蜃気楼』『星座』『青んぼ』で作品を発表しています。そして、全課程5年制を4年間で修了。

■昭和2年 官立弘前高校入学
 官立弘前高校に入学。高校へは、遠縁の藤田豊三郎方に下宿して通学しました。在学中、同人雑誌『細胞文芸』を創刊し、「無間奈落」を発表。『座標』には、「地主一代」を発表しており、地主を批判する内容の作品を執筆していました。
 この頃、多量のカルモチンを飲み下して昏睡状態に。意識を取り戻した4、5日後、母に付き添われ、大鰐温泉ヤマニ仙遊館で療養します。
 また、高校在学中の1年間は、義太夫を習っていました。

■昭和5年 東京帝国大学仏文科入学
 バー・ホリウッドの女給田辺あつみと鎌倉小動崎でカルモチンを飲み下し、翌朝、苦悶中に発見されましたが、あつみは死亡。太宰は七里ヶ浜恵風園療養所に収容されました。
 療養のため滞在していた碇ヶ関温泉柴田旅館で、小山初代と仮祝言を挙げます。
 大学卒業の見込みがなくなり都新聞社を受験。不合格。1人で鎌倉山に向かい、首つり未遂。捜索願も出されたが自力で帰宅。授業料未納により東京帝国大学から除籍されてしまいました。



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