新田開発が各地で盛んになり、金木地方も水田の開発が進められ、虫から稲を守りたいという祈りを込めて行う農村の虫祭りも、ますます賑やかになって行事化していきます。
その頃、天保年間に、藩主信政公が少数の士卒を連れて民情視察の途次、金木村を訪れ、八幡宮に五穀豊穣と武運長久の御祈願をされました。突然のことなので、神主笹木氏(現笹木正巳氏先祖)並びに庄屋角田氏(現角田信一郎氏先祖)らがはからい、村人を挙げて迎え、帰りには礼をつくして村はずれまで見送りをしました。当時、赤坂(若松町の入口)手前の橋は、丸太橋のいたって粗雑なものでしたが、藩主は馬上豊かに馬の手綱をとり、供奴二人が左右に手綱をのばして、一回二回と後に下がり右にひき、左に廻り、三回目に英姿さっそうとして橋を渡られたとのことです。
初めて見た藩主の見事な英姿に感激した村人たちは、村の誉れとして永久に残すべく“虫送り”の荒馬踊りに、手綱を取る所作を採り入れるようになったとされています。
(昭和56年県無形民俗文化財指定)
開催場所 | 金木町朝日山地区 |
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開催時期 | 8月中旬 |